元気の源

猫が大好き、動物が大好きな、パステル画家・山中翔之郎のブログです。

あれから一ヶ月 そして一週間と一日

2011-03-19 18:00:51 | 日記
元さんの旅立ちから一ヶ月が経った。
個人的にはそれだけでも十分すぎるほどのショックで、激しい心の浮き沈みを何度も繰り返していた。
しかしそれは、私と私の家族、そして元さんの存在を知る人たちだけの悲しみ。
当然のことだが、世の中はなんの変わりもなく動き続け、心も身体も停止してしまった私との間に生じたギャップを埋めることは決して簡単ではなかった。

そして一週間ほど前、ようやく前を向いて歩き始めようとした時だった。
あの忌まわしい大地震が・・・、起きた。
生まれて初めて経験する激しい揺れ方に、その瞬間は決して大袈裟ではなく「もうダメ・・・」かと思った。 私が感じた恐怖などとは比べ物にならない程のとてつもないことが東北地方の太平洋岸で起きていることも知らずに・・・。
次々にTV画面に映し出される余りにも衝撃的な被災地の映像に、私はしばらくの間身動き一つ出来ないでいた。
少しずつ少しずつ元さんの死を受け入れながら、静かに悲しみに浸り、寂しさに耐え、それを何とか力に変えようとしていた私の心は、突然襲ってきたこの世のものとは思えない出来事にズタズタにされた。
刻々と伝えられる被害の状況は、恐ろしいほど速さでその規模を広げていく。 その惨状を前に、ほんの一瞬でも感じた被害者意識は跡形もなく消え去っていた。

自宅が仕事場でもある私は、何か予定でもない限り、あえて外出することはない。
TVはほとんど一日中つけっ放し。 どの放送局も大震災一色の状態が何日も続いた。
見たい見たくないの問題ではなかった。 大津波が街を呑み込んでゆく恐ろしい映像に思わず目をそらしたくなっても、それが許されないかのような強迫観念にも似た感情に身動きができなかった。
日が経つにつれ、繰り返し流される大津波や大規模火災の映像に混じって、被災者の姿が多く映るようになっていった。 
電気・ガス・水道がダメ。 それどころか家が津波に流されて帰るところもない。 家族は散り散りになって、お互いの生死すら判らない。 そこには、これまで当たり前と思ってきたことのほとんど全てが失われ、それでも尚必死に生き続けようとする人たちの壮絶なまでの姿が・・・、そして同時に、被災者の救助に、避難者のサポートに、それこそ我が身を惜しまず動き続ける人たちの姿も映し出されていた。
その一方で、「大変だなぁ・・・」と呟きながら、明るく暖かい部屋の中で、湯気の立つ食事をお腹いっぱいに食べながらTVを見ている・・・そんな自分がいた。
そのことに気付き始めたときから、何とも言いようのない罪悪感が私の中に広がっていった。
(自分とは関係ない・・・)なんて間違っても思わなかった。 むしろ(何かしなくては・・・)の思いがいつも頭の中をグルグル回りながら、その出口を見つけられずに時間だけが過ぎていった。
尽きることのない被災地の惨状に、ただただTV画面を凝視することしか出来ないでいる自分がどうしようもなく無力に思えてくる。
同じ日本の、たかだか2~300kmしか離れていないところで今まさに起こっている非日常的な出来事と、自分がこれまでとほとんど変りのない日常生活を送っていることとのギャップが余りにも大きくて、その狭間でただ呆然と立ち尽くしていた。

直接大きな被害を受けることのなかった人たちの多くが、私と似たような思いを抱いていたことを知るのに、それほど時間はかからなかった。
いただいたメールや作家仲間のブログを読むと、ほとんどの人が最初は無力感を感じながらも何ができるかを模索し、中には既に行動を始めている人も・・・。
そんな皆さんの姿に勇気付けられ、私も無力感の中でただじっとしているわけにはいかなかった。
被災地への直接行動を起こせるに越したことはない。 しかし、もしそれが出来ないのなら、寧ろしっかりとこれまで以上に真剣になって自らの日常生活を続けることが、間接的でも被災者の皆さんにエールを送ることになるのではないか。
ただ心配するだけで、本来やらなければならないことすら出来ずに動かないでいたら、そこからは何も生まれない。 心で精一杯エールを送り、日常の中で少しでも無駄を減らしながら懸命に生きることも立派な行動なのではないか? そしてその中から少しずつでも自分の出来ることを見つけていく・・・。
それはきっといつの日か、まわり回って何らかの形となり、今は直接手を差し伸べることが出来ない被災者のみなさんの力となり、安らぎになれるはず・・・。

被災地の惨状を憂い、被災者の皆さんを本当に心配して思いを馳せる。
そうして心を痛めている日本中の、いや世界中のみんなの心の底の、さらに底の、また底の、一番奥底に流れている優しい気持ちはきっときっと同じで、その気持ちの表し方が人それぞれ違っているだけ・・・。
心に痛みを感じるだけで、既にその人は無力などではない。
本当に無力な人なんて実は一人もいないのだ。
心でも身体でも、少しずつでいいから動いていれば、前に向かって進んでさえいれば、必ず何かが生まれ、それがいろいろな形になって、必ずや被災された方々の生きる力になるはずだから・・・。


一ヶ月が過ぎ、元さんは天国での生活に少しは慣れただろうか?
写真の中の元さんと目が合う。
もし一週間前のあのときに元さんがいたら・・・と考える。
激しい揺れに怯えて逃げ回っただろうか?
いや、元さんのことだから、何事もなかったかのように寝たままでいたかもしれない。
元さんの目に映る世界は、日本は、被災地は、そして私は、いったいどんなふうに見えるのだろうか?

そして大震災からは一週間と一日が過ぎ、世の中には未だに放射能の心配が渦巻き、被災者の避難生活もまだまだ先の見えない状態が続いている。
しかしそんな中でさえ、早くも復興の兆しを感じさせるニュースが日に日に多くなってきたようにも感じる。
一日も早く被災地に平穏な日々が戻ることを心から祈りながらも、それまでには間違いなく長い時間と多くの様々な力が必要となることだろう。
今すぐにできることはもちろんだが、しばらく経ってからこそ必要になってくることもきっとあるはず。
だからこそ・・・、
私は自分自身を見失わないように私なりのペースを守る。
どんなに小さくても自分自身の力を信じる。
私だからこそ出来ることがきっとあると信じる。

そして今、少しずつだけれど、動き始めている。
コメント (7)
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