さて、米国の対日本政策に入る。
今もそうだが、実はこの問題を扱うのは気が重かった。
このブログの記事は、フェースブックに自動的に転記掲載されるようになっている。
フェースブックで鹿嶋が友達となっている人は、ほとんどが「米国=悪」の図式で
頭が占められている人たちである。
この人たちは~根はいい人なのだが~政治問題に関してあまりにナイーブだ。
米国の極東政策、日本対策を米国はフリーハンドでもって好き勝手にやっている
という先入観~敢えて言えば妄想~に頭を占領されてしまっている。
だから、日本に課してくる制約はすべて「日本隷従化の手段」と見えてしまう。
米国が担っている世界大戦回避のための努力、苦闘が全く見えない。
その必要性から対日本政策を眺める目を全くもたないのだ。
そういうい人たちは、必然的に鹿嶋の説明に怒りを抱くだろう。
自虐史観という人、愛国心が欠如した非国民と非難する人も必ず出るだろう。
それが見えるだけに、気が重かったし今も気が重い。
だがもうやることにする。やらないわけにいかないだろう。
<日本人は政治的には13才!>
戦後の世界運営を請け負った米国は欧州地域でも防共壁を運営せねばならなかった。
北大西洋条約機構(NATO)は当初は英国とフランスの主導で設立されたが、
まもなくこれも自らが主導せねばならなくなった。
これでもって、ソ連の主導するワルシャワ条約機構勢力ににらみをきかせる必要があった。
同時に米国はまた、極東地域でのソ連、中国拡大の防波堤を造らねばならなかった。
日本、韓国、台湾を含めた防共壁を形成せなばならなかったが、
その中核課題は、日本をどういう国にするかであった。
日本にとって米国は実質上の占領統治国であった。
GHQは名前は連合国総司令部だが、「連合国軍」とはいっても、
その大半の職員は米国の軍人と民間人で構成されていた。
それに英国軍人が少数だけ加わっているという体制だった。
GHQの司令長官マッカーサー元帥は日本をどういう国として再び独立国にするかを、
重要課題としていた。
そしてその基底哲学はかれが日本国土を踏んだ後、早期に発した一声が示唆している。
「日本人は政治的には13才」~Japanese are politically thierteen years old ~ がそれであった。
彼は太平洋戦争の指揮官として、日本人の政治的無能を知り尽くしていた。
特に、軍部の上層部の政治的無能、その軍部を統率できない政治指導層の無能を
いやというほど観察してきた。
日本の軍隊は西欧列強に匹敵する戦闘力を持っていた。
だがそれを統率する能力が欠如していた。
そういう日本軍を相手にして、彼は東南アジアと極東の戦線で戦ってきた。
日本の軍隊をダンプカーに喩えるならば、国家の政治指導者は
「ダンプカーのハンドルを握った幼児」だった。これが彼の日本観だった。
<マニラ市街戦の悲劇>
特に自ら軍を直接指揮したフィリピン戦線で、彼はそれを如実に体験認知していた。
米軍に追いたてられた日本軍は、マニラ市内での防戦を選んだ。
市街戦に巻き込まれた一般市民の悲劇は、次の戦死者統計でもわかる。
米軍、1000名
日本軍、5000名。
マニラ市民、50,000人。
戦争当事者ではない市民の死者数が著しく高い。これには子供が多数含まれている。
撃ち込まれる砲弾のなかを泣き叫び逃げ惑い傷つき死んでいく、無力な幼児子供を思うだけで、
胸がつぶれそうになる。市街戦とはこういうものである。
日本軍は、戦うのなら市街地を撤退して山地で戦うべきだった。
最後の一兵まで戦いたいのなら、そこでやるべきだった。
人様の一般住民が住んでいる都市で市街戦するしかないのなら降伏すべきだ。
戦争にはゲームの面も少なくない。
過大な犠牲が確実視されたらば、降伏調印に持ち込み国の再建を期すべきだ。
だがそんな決定も出来ないで、だらだらと抗戦を続けた。
のみならず日本兵は、紛れ込んではいけない赤十字病院内にも紛れ込むという違法を犯し、
そこにいる多くの市民や医師、看護婦までを犠牲にしたりもした。
マッカーサーは戦の現場でそれに直接対面していた。
だから~Japanese are politically thierteen years old ~ なのである。
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沖縄戦も同じだ。
戦闘員でない県民を多数巻き込む状態になっても、降伏決定が出来ない。
その状態で政治指導層は「本土決戦だ」などと言って、人民に竹槍の練習をさせていた。
本土決戦の泥沼の中で軍部の統率機能が失われたらどうなるか。
もう国家としての降伏決定は出来なくなる。
さすれば各地の現場で、軍人が闇雲に戦を続行し、大量の人民を犠牲にすることになる。
竹槍でもって市街地に潜んで本土決戦したら、沖縄戦や硫黄島戦の映像に見るように、
日本人民は各地で火炎放射器でもって火だるまにされていくしかないではないか。
<ジャパンバッシングの哲学>
鹿嶋は原爆という武器による攻撃は、いかなる理由を持ってしても肯定できないものと信じている。
広島・長崎の原爆の死者は合計220,000人という。
他方もし本土決戦をやっていたら、人民犠牲者は百万人を優に超えていただろう。
この百万・二百万に上る人民の犠牲を回避する手段としても、原爆投下は正当化できない。
いかなる状況においても原爆という武器の使用は悪なのだ。
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だが、このこともまた確実に言える。
政治指導層の無能がなかったら、原爆投下は起きなかった。
広島に原爆投下がなされたのが1945年8月9日の午前である。
そしてその日の夜、政治指導者たちは御前会議を開いてポツダム宣言の受諾を決めているのだ。
張り倒されないと妥当な政治決定が出来ない。
後の日米経済交易問題への米国の解決思想となるジャパンバッシング哲学の始まりである。
そもそも、日中戦争への突入、日独伊三国同盟の締結、太平洋戦争への突入、
等々からしてすでに、日本指導者の統治能力の幼稚が現れていた。
だからマッカーサーは言ったのだ。
~Japanese are politically thierteen years old ~ と。
これへの対処が、彼とGHQの日本統治の第一課題となった。
(続く)
それにしても、今も昔も、ほとんどの日本の大組織は、官民問わず、末端があんなに優秀なのに、上位に行くほど、指導者として決断できず、膠着した考え方しかできなくなっていくという構図が成り立つように思えて仕方がありません。
①組織の上位に行くほど、等身大の意識を離れて思考せねばならない。
②それには想像力、イメージ形成力が必要になる。
③そして、それを強化する最大の手段が、聖書という書物の中身を小グループで吟味する活動である。
~鹿嶋の頭の中では、こうなっているのですが、②と③の論理的ギャップが大きく、これをどう言葉で埋めるかが難しいところです。