米国の対日本政策の話を続ける。
平和ボケの日本人には、きついことも含まれていると思うが、しかたがない。
<政治的無能は軍隊統率無能に直結>
戦後の日本政治を見るとき、その出発点の基盤認識を見逃してはならない。
看過すれば、以後すべての思考が妄想のなかを遊ぶことになる。
事実、日本人は知識人、一般人をあげてこれをしてきている。
ではその基盤哲学は何かといえば、これがマッカーサーの「日本人は政治的には13歳」である。
なぜこの基盤を踏まえねばならないか。政治的13歳、はそのまま軍隊の統率不能に直結するからである。
<5.15事件、2.26事件は政治テロ>
日本民族は、現場的戦闘マシンとしての軍隊形成には、卓越した資質を持っている。
彼らは明治維新後、短期間に西欧列強に匹敵するマシンを作り上げた。
西欧の科学的軍事技術を驚くべきスピードで吸収し大国である中国(清国)を倒し、日露戦争にも勝利した。
敗れたりとはいえ、第二次大戦においても多方面にわたって脅威の戦闘力を発揮した。米国は対日戦争の勝利者なので、その被害はあまり取りざたされないが、実際には失った兵士や設備への被害は甚大だった。「♫ 父よあなたは強かった・・・」 日本軍は現場的には強い戦闘力を発揮するのである。
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だが、それは政治的に統率できないと暴走してしまう。
軍隊はダントツの物的暴力手段の保有者だ。国内的にも強引にやろうと思えば何でも出来る。
実際、暴走し始めた軍人たちは5.15事件(1932年:昭和7年)を起こして政治要人を殺害した。
この事件の政治家への心理効果を見誤ってはならない。これは政治家へのテロなのである。
テロの主目的は恐怖を与えることだ。これをされると政治家は~少数の例外を除いて~生命の危険におびえるようになる。
軍人は、さらに4年後に2.26事件(1936年:昭和11年)を起こして駄目を押した。
これで軍部の意向に沿わない政治を敢えて行う勇気を持った政治家は消滅した。
この二つの事件は、軍人による政治家へのテロなのである。これが与える心理効果を見逃すのもまた、政治的13歳の故であるが。
<暴走は止められない>
ともあれもうこれで軍部の思うままとなった。彼らは政治決定権を手中に収め、さらなる中国支配に向けて暴走した。
2.26事件の翌年、昭和12年に日中戦を引き起こして中国全土の蹂躙に突入した。もとより帝国内に収めていた朝鮮半島も蹂躙した。
フィリピンなど東南アジアの支配にも突入した。そして突然真珠湾攻撃をおこない、対米宣戦布告にも暴走したのである。
日本軍の暴走は、当初の一年ほどは夢の成果を上げた。だがすぐに指導者層の無能が馬脚を現す。
それでも暴走は続き、全アジアの住民に地獄の苦しみを与えた。
最後にはまた、特攻隊という自爆テロでもって4500人の有為の若者を自爆死させ、終戦を遅らせた。
暴走は本土に原爆を食らうことでもってようやく終了した。
<憲法9条は「まずは軍備なしでいく」政策>
戦後、マッカーサーが抱えた緊急課題は「この民族に軍備をもたせるべきかどうか」だった。
結論は「ともかくまず軍隊はもたない状態でいく」であった。
憲法9条の「戦争放棄」「軍隊、武力の不保持」「交戦権不認可」などは、その結果なのである。
ところが「政治的13歳」の基板哲学を認識できていないと、
この条文の評価からして、もう妄想の夢に入っていってしまう。
「日本人は戦争がいけないことに心底目覚めた」「反戦の重要性を悟った」「軍隊は必要ないことを悟った」
「世界に冠たるこの美しき非戦精神」等々となる。
~だがこれはすべて妄想なのだ。
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マックス・ウェーバーに教わるまでもなく、国が維持されるためには、
①人民が為政者を正当と見る意識(人民の一体性を形成するため)、 および
②物的暴力手段(警察と軍隊)~が必須である。
警察は、理屈で納得しない一部人民を従わせ、国家社会の秩序を維持するために必要だ。
軍隊は、理屈で納得しない外国からの攻撃を退けるために必要だ。
前者は対内的手段であり、後者は対外的手段である。国を維持するにはこのどちらも必要なのだ。
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「軍隊の不保持」はこのうちの対外的物的暴力手段を保持しないことだ。
しなければ国家運営としては片肺飛行そのものになるのだ。
なのにGHQはこの体制で戦後日本をはじめさせた。「政治的に13歳」だからである。
フリーハンドで再軍備させれば強い軍隊が出来てしまい「人民はそれを統率できずに暴走させる」のが明らかだったからだ。
<憲法で制約をかけながら>
だからとりあえずはもたせない。
そのために、憲法に戦争放棄と軍備の不保持をうたわせる。
そして、憲法で制約条件をかけながら、徐々に軍備をもたせていく。
最初は警察予備隊。
次にそれを自衛隊にする。
さらに次には、武器使用を制限したPKO目的なら海外派兵できるとする。
(1992年、PKO協力法制定)
次いで「後方地域」の概念を導入し、戦闘領域外の後方地域なら同盟国の戦争にも協力できるようにする。
(1999年、周辺事態安全確保法制定。これで2004年にイラク復興支援を行う)
このようにすべてを憲法解釈の枠内でやらせ、憲法の制約はかけ続ける。
その間、日本の安全保障が不足な点は、米国が担ってあげる。
安全保障条約を結んで担ってあげる。
これらはみなマッカーサーの敷いた日本軍備政策路線上のものである。
当然その路線は今日まで続く。
その中で今は、安倍政権に集団的自衛権のいま少しの前進を実現させようかな、という段階なわけだ。
なんと見事な統御なことか。
米国は日本を再軍備化させてきたのでなく、基本的に統御してきているのだ。
その中でわれわれは、70年という異例の平和を享受できてきたのである。
だから、集団的自衛権と聞いたら、「すわ戦前の軍事国家帰り!」とおびえる必要など全然無い。
米国がそんなことさせない。
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