鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.157『マリア、イエスの足に香油を注ぐ』(12章)

2006年07月18日 | ヨハネ伝解読




~~絵画は「使徒ヨハネ」(1866)by Peter Nicolai Arbo~~

(アンディ中嶋さんのブログ「バイブル的人生」
http://blog.goo.ne.jp/andygoo/
より引用させていただきました)


~~また「ヨハネ伝解読」にもどります。
12章の最初からです。





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=聖句=
 「その時、マリアは高価で純粋なナルドの香油を一斤持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった」(12章3節)
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 12章に入ります。
 ここでは状況が一転しています。危険を避けていたはずのイエスが、一転、危険な地域に自ら足を向け始めるのです。死ぬ気だったのですね。弟子が止めるのも聞かず、彼はラザロ、マルタ、マリアの家に来てしまいました。

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 この章でヨハネは、まず、後に有名になるマリアの香油シーンを記しています。彼女は高価な香油をイエスの足に塗り、自分の髪でそれをぬぐいました(3節)。

 マリアたちの兄弟姉妹は、イエスをとりわけ深く愛する人だったようです。加えてこの場面ではイエスは死んだ兄弟を生き返らせてくれた大恩人でした。彼女でなくても、どんなお礼もしたくなる場面です。

 イエスはマリアのなすがままにさせていました。家中が香料の香りでいっぱいになりました。

 それを見ていて、クレームを付けた弟子がいました。イスカリオテのユダでした。彼は後に、イエスの居所をユダヤ教の高僧たちに教えにいくことになります。

 ユダはいいました。「この香油は300デナリなら楽に売れるでしょうに。売って貧しい人に施したらいいのに・・・」(5節)

  (先生、かつてお金持ちに、自分の弟子になるには持ち物を売って貧しい人に施せ、と言ってたではありませんか。ホントに、時によって言うことが違うんだから・・・)とでも言いたそうですね。

                  


 ところが、イエスはこう言います。

 「マリアは私が葬られる日のためにそれをとっておいたんだ。貧しい人はいつでもいるが、わたしはいつも諸君と共にいるのではない」(7~8節)。

 前章で、イエスが身の危険を避けて荒野に近い町に弟子たちと滞在した、とヨハネは記していました。しかし、過越の祭りの6日前になると、イエスはマリアたちの家に来たのです。そこはベタニア。エルサレムから近く、危険な場所です。

 そこに敢えてイエスが来たということは、エルサレムに上ろうということでもありました。そして以前からイエスの言っている「死ぬ日」ですね、これがが来たということでもありました。

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 マリアはもう、イエスのいうすべてを従順に受け入れていました。兄弟ラザロを生き返らせてもらって以来、彼女はもうイエスの言葉をそのまま受容するように一層なっていたのでしょう。

 そこで、一家は、一行のために夕食を用意しました。食事の給仕は、マルタがしました。生き返ったラザロも、その席に加わっていました。マリアは、そこで、香油をイエスの足にかけたのです。

 彼女はイエスが「私はこれから死ぬのだ」といっても、それを素直に受け入れる心境になっていました。彼女は、死にゆくイエスの足に、化粧を施したのでしょう。(実際まもなく、ここに釘が打ち込まれて多量の血が流れ出すことになります)

               


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