鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

「救い」のチャンスは平等か?(1)

2005年10月16日 | 「考える宗教」へ

                  


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こんにちは。いつも読ませていただいています。
今日のところに関して質問なのですが、救われるチャンスはどの人間にもあるんですよね?でも、例えばザビエルが来る前の日本人はキリスト教を知りませんよね?彼らにもチャンスはあるんでしょうか?
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Lazy-catさんのこの疑問について考えてみますね。

 「結果的に全員が救われることはなくても、イエスとしては全員に対して救われるチャンスは創った」、というけれど、ホントにそうか? 福音がまだ入ってきていなかったザビエル来日以前の日本人には、チャンスも与えられてなかったのではないか?

~~~こういう疑問でしたね。

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 全くそうですよね。

 人間が福音を信頼して救われる資格を得られる期間が、生まれてこの世に肉体を着て生きている100年くらいの間だけだとしたら。そのチャンスに恵まれない人はたくさん出ますよね。

福音に触れる機会がない社会はたくさんありましたから。いまでもあるでしょう。世界にたくさんあるし、日本にだってあります。

 聞いて → 信頼して → その結果救いを受ける ~~というのならその知らせ(福音)を耳にする機会がなかった人は、救いのチャンスもないことになります。

 にもかかわらずすべての人間にチャンスがあたえられている、というのなら、上記のような制限がなくならないと無理でしょうね。具体的には、霊が肉体を抜け出た後にでも、福音に触れて信頼して救われることができる~~というようなことでなければなりませんよね。

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   肉体を抜けたあと、については、二つの状況が考えられそうです。一つは、霊となった状態です。もう一つは、霊がまた新たに肉体を着た状態です。これは輪廻(生まれ変わり)があれば、という状態ですね。

 どちらでもよさそうに一見みえますが、こういう見解もあります。すなわち~~福音を聞いてそれに信頼しようと決断するには、意志の力が必要である。それには脳神経系という肉体が必要なのだ~~と。こういう方には、生まれ変わりが必要になるわけです。


 前者の、肉体が死んだ後の霊、肉体を抜けた霊にも、福音が伝えられうるし、そこで信頼したらその霊は救われる、というような見解はあります。

 記憶は正確ではないかもしれませんが、久保有政さんですか、この方がそういう風に聖書を解読できる、といっておられたような気がします。レムナントという福音雑誌を出版しておられる牧師さんですよね、確か。

 それで、福音を信頼しないで死んだ人についても、その霊が福音を聞いて信じるようにしてください、と創り主に祈るのは有効なんだ、というようなことだったのではなかったかな。

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 そうすると、愛する肉親も救われないで死んだらもうおしまい、ということにはならなくてすみます。先に死んだ祖父母や、両親や兄、姉などについても、福音に触れて信頼して救われるように、と祈る道が出てくるわけですね。

この方の聖書解読は、とても詳細で、正確だという印象を鹿嶋は受けています。
 久保さんの書かれたものをお読みになったら、鹿嶋の理解以上の解読に出会えるかもしれませんよ。

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