鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

「正しい学び方」20 ~言葉の波動が身体波動を再創造~

2020年10月24日 | キリスト教の正しい学び方

 

<根底は波動と解する>
 
 量子力学の思想を、聖書の中の言葉(聖句)の物理的理解に援用するには、若干の予備作業がいる。
 
 まず、二重スリット実験で得られれたような「粒子と波動から成っている二重存在」というイメージを修正する。
 
 粒子とは「波動が凝集することによって出来るもの」とする。たとえば波動の海の中には、波動(振動が他の空間に伝わってできる運動)が凝集する領域もできるだろうと考える。それが(つぶつぶの塊)と感じられ、粒子と認識されるのだろう、とイメージする。
 
 こうすると、波動の方が根源の存在だというイメージが得られる。
「二重存在」という認識は、二元論的ニュアンスが強く、使い勝手がわるい。
そこで根源を波動として一元論的にイメージするのだ
 
<「波束」というが>
 
 これは学問的に間違っている、というわけではない。
このあたりは理論物理の領域で、専門物理学者にもイメージ世界のことがらだからだ。
 
 実際、物理学でも凝集体的なものをイメージして「波束(はそく:波動の束)」という言葉を使っている。
だが「束(たば)」というと筆者には、稲の収穫時に刈り取られた稲の束が思い浮かぶ。すると波の一つ一つが稲のような線分の形に思われて、しっくりこない。
 
 なにも、束ねなくても凝集すればいいではないか、とおもう。そんなわけで筆者は「凝集体」という言葉を主に用いる。
 
 
<言葉と物質は同次元>
 
 
 量子力学の存在論思想は、言葉と物質とを同じ「波動」という次元で理解するのを可能にしてくれる。これは画期的な新境地だ。
 
 中学あたりの理科では、言葉が声となって発せられると、空気を振動させそれが音の波となって伝わっていくことを学ぶ。
だが、言葉の波動はそれだけではない。
 
 言葉は話す人の感情や意志などを内包していて、そうした思いは振動だ。その振動が波動となって他の空間に伝わっていく。
たとえば、ある唄を心で口ずさんでいると、隣にいる人もそれを口ずさみ始める。
日常生活の中でのそういう経験から、われわれは意識が波動体であることを体験的に知っている。
 
 そして量子力学は、物質の根源も波動であることを示してくれた。
すると言葉と物質は同じ次元、同じ局面の存在となり、我々は聖書に記録されている言葉の影響を
わかりやすく認識出来るようになる。
 
<言葉の波動が物質に影響・・・>
 
  たとえば、聖書には「イエスの言葉が病人の身体を変化させた」との旨の記述が繰り返し現れている。
 
 イエスが「歩け」と言葉を発すると脚萎えが歩き出す、「目よ、開け」というと、盲目者が見えるようになる。これなど見えない領域の事象を含めた描写だ。
 
+++
 
 従来それは「イエス様の不思議な力による。信仰でアーメンと受けいれるべき」などと説明されてきた。これはすべてを神秘の世界のことと認識するやり方だ。
 
 だけどこういう風に、すべてを神秘の箱に収納し、理由もなく「アーメンと信じなさい!」とだけやっているのでは、その教えは在物神宗教やおまじないに近づいてしまうよ
 
<言葉の波動が肉体組織を再創造>
 
 脚や眼球を構成する物質の根源が波動だとなれば、認識は異なってくる。従来の不思議事象を「神秘の箱」から取り出して、物理学的にイメージできるようになる。
 
 言葉も波動だ。それは人の意識を信号にして伝える意識波動だ。
 波動は波動に影響を与える。イエスの発した言葉は「創造神の強烈な波動」となって、脚や眼球の根源的な構成物である波動に影響した、とイメージできる。
 
 影響を受けて、脚の筋肉や眼球を構成していた波動が変化し、肉体組織が再創造された、と考えられる。
 
~こういう物理的イメージ理解が可能になるのである。
 
(「正しい学び方」20・・・完)
 
 
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