前回、「創造主アリ」の世界観が「真理」という理念を生み、それが科学という認識手法を生み出した~といった。
今回は、この世界観がもっと包括的に科学の生成に貢献していることを示そう。
<「客観的」な視点>
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「創造主を恐れることは、知恵の始め」
(『詩編』111章10節)
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~という聖句がある。
ここで「恐れる」とは意識することであり、
「知恵」とは、聖書で言う「被造界」に関する知恵、知識を言っている。
被造界には物質界も霊界もあるが、物質界についてみると、次のこともわかってくる~、
すなわち、世界観に創造神の意識があると、物質界をその方の視点から眺めることが出来るようになる。
その視点とは、物質界を「外から客観的に」みる視点だ。
そしてその視角こそがまさに「科学」の出発点になるのだ。
<物質界に意識が埋没>
ところが、「創造主ナシ」の世界観だけでいると、被造物だけにしか存在意識が保てなくなる。
すると自分の意識も、その中に埋没してしまう。
かくして、物質界を外部から~距離を置いて~見る目がなくなり、科学の芽は育たなくなるのだ。
<物質を味わい尽くす>
だが一方で「物質界のみ」の世界観にも相応の利点があることを見逃さないでおこう。
この意識でいると、被造界を深く探求していくようになる。
これは職人精神を育成する。
たとえば日本の料理職人は、素材(自然材料)を探求し味わい尽くそうとする。
その結果、日本料理は繊細な「旨み(うまみ)」を世の中に提供して人々を楽しませている。
これを「神のみむねに反する」とかいってわざわざ否定する必要などない。
両方の世界観を~「信じる」でなく~「知れば」いい。
「知る」ということであれば、どちらも、意識に保つことが出来るのだ。
(続きます)
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