鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.64「7章 ルターの宗教改革、英国に国教会を噴火さす」(3)~一気に改革の流れを開く~

2012年03月20日 | 「幸せ社会の編成原理」

  
            
 

カトリック僧侶による内部改革運動は、以前からも試みられていました。
ボヘミアの神学者フスは代表の一人でして、その言論運動は強力でした。
だが彼は人柄がナイーブだった。

カトリック教会は論争で正否を決めましょうと、異端審問裁判所におびき出しました。
そこに行ったらカトリック審問官に有罪宣告されるだけなのに、
彼は純朴に出向いていってしまいました。
そして有罪判決を受け、火あぶりで苦もなく殺されてしまいました。

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それからするとルターは天才的な戦略家でした。
彼は運動の口火を、有名な抗議文を深夜に教会の城門に打ち付けることでもって切りました。
夜明けになると人々は朝の新鮮な感覚でそれを読みます。ドラマチックで絵になる演出です。
       
他方において彼はすでにドイツやフランスで、自らの神学思想を記した冊子が公刊されるように
手配していました。
普及しつつあった印刷出版技術を使って改革思想の世界宣伝を同時進行させてもいたのです。

後に宗教改革のもう一人のスターとして教科書に登場するカルバンは、
この思想の影響を受けてスイスのジュネーブ教会を本拠地としてカトリックと戦うことになります。

ルターは身の振り方も鮮やかでした。変装して暮らすなどとても僧侶と思えない。
彼はあらかじめドイツ諸侯たちに支持をとりつけたうえで、運動を開始していました。
この種の根回しには、奥さんの助力が大きかったようで、彼女はサロンを開いて
有力者に太い人脈を形成してあげています。

当時ドイツはまだ統一国家になっておらず、各地域の所領を諸侯たちが独立して統治していました。
日本の戦国時代のような状況ですね。
ドイツの大名諸侯たちは、ルターの改革開始宣言に呼応して彼の主張する方式の教会を
自国の領内に作っていきました。

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不意を突かれたカトリック教団は後手に回りましたが、運動を放置することはできません。
そのままでは教団の全ヨーロッパ一円統治体制が破れてしまうのです。

教団はフランス、スペインなどカトリック国の軍隊をドイツに出動させました。
ルター方式の教会とそれを支持する諸侯たちを力で押さえ込もうとしました。
ドイツ諸侯は自らの軍隊でもってこれを迎え撃ちました。1517年のことです。
かくして欧州初の宗教戦争がドイツの地で始まりました。戦はなんと40年も続きます。

宗教改革運動は国内に制度改革の気運を上昇させたのでしょうか、
ドイツでは農民たちが諸侯に待遇改善を求めて立ち上がるという事態も発生しました。
ミュンツアーという指導者に率いられて国内全域にわたる戦争に発展した
農民戦争(1524~25)がそれです。

内戦は二年間続き農民側の敗北でもって終わりましたが、ドイツ諸侯連合軍はその間、
外部のカトリック軍と内部の農民軍の両方と戦わねばなりませんでした。
だが彼らは戦い続け、総計40年戦争を続けたのです。
戦の仕掛け人・ルターはその間に結果を見ることなく逝去しています。

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40年後両者は妥協し、アウクスブルクで「宗教和議」(1555年開催)を開きました。
終戦時のドイツ国内は四〇年間にわたる戦火に荒れ果て、人口は3分の2に減少していたといいます。

カトリックは、「ドイツ連邦国内ではルター派がカトリックと同等に教会を開く権利を持つ」ことを
承認しました。
どちらの教会を選ぶかは領主が決定し、人民は領主が選択した方の教派に従う、
という方式でした。



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