徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

世界一周、徒歩旅行、追加:ヨット編-1026

2016-03-13 08:26:49 | ヨット

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩+ヨット旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、追加編:ヨット
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー

14、ヨットに乗る-645

その2


yacht-5.jpg
コンパス、舵

 ヨットに乗り、しばらくしてからのことである。
ある時、船の持ち主のアレンは英語が世界の中でもいかにも優秀であると言う話をしだしたのであった。
例えば、Have という単語の中にもいろいろな意味があり複雑なのだと言った。
どうだ、英語は奥が深く優秀なのだが、日本語はそんなことはないだろうと彼が言うのであった。
僕は、日本語は同じ発音でも意味が違うことがたくさんある。
例えば、「はし」と言う発音でも「端」「橋」「箸」などの様に意味がいろいろ異なるし、日本語は漢字、カタカナ、ひらがなを使い分けなければならないのだと言ってやった。

 その後、ヨットの位置がどこなのかを知るために六分儀で計っていた時である。
僕は土木科の出身であるので、角度を測ることは慣れていた。もちろん他の白人はその様なこともできないのであった。
それで、アレンと2人でヨットの位置を出していた。
彼は海のバイブルと言われる本の中にその六分儀で計った角度さえ入れれば、自動的に表から現在のヨットの位置が出てくるのだとその本が優秀だと言うのだ。
それで、角度の話が出てきたので、僕が地球の位置を出す根本はサイン、コサイン、タンジェントの話を出した。
それを聞いたアレンが何のことか分からないと言うので、直角三角形の話をするためにX2+Y2=Z2であるなどと図を描き説明をしたのであった。
そしたら、アレンは「私には分からない。」「私は高等な学校を卒業していないのだ。」と言うのであった。
この高等な学校とは大学か大学院のことではないかと思うが、直角三角形の公式などは高等な学校を卒業しなくても日本では中学校でさえ習うことである。
彼はその様に自分で私はそんなに頭はよくないのだということを自ら言ったことになった。
さすがに、その後からは彼は僕に「頭を使えよ。」という言葉を言わなくなった。
何と気持ちがいいことであろうか。彼に勝ったような気分である。

 ところが、その後は僕自身に納得が出来ないのであった。
どの様なことかと言うと、今まで歩きの旅で僕が学んできたことの中には前にも書いたのだが、以下のようなことがある。

1、すべての物に心をもって接しなさい。
  動物、植物、無機物までもこの世の物すべてに対して、、、

 これは即ち、「すべてのものに愛をもって接しなさい。」という意味である。
では、この愛とはどの様なものなのかと考えると一時的に燃え上がるような恋愛の愛ではないと思うのである。
それではどういう愛だろうか?それはすべてを与える「親の愛」であろうとおもうのである。
この様な愛であれば世界が一つになるし、平和は現れると思うのである。
ところが、僕はどういう人間だろうか?親の愛を持っているのだろうか?
即ち、人種差別をしているアレンを愛することが出来ているだろうか?と思うのである。
親であれば、人種差別をしているまだ未熟なアレン(歳は僕よりか取っていても)を許してあげて愛さなくてはいけない。
そうでなければならないのだが、僕の心の中にはアレンが「人種差別をする悪い奴」でしかないのである。
彼を見ると何だか許せないのである。
それは僕自身がまだ、未熟であるからであろう。

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世界一周、徒歩旅行、追加:ヨット編-1025

2016-03-07 08:06:31 | ヨット

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩+ヨット旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、追加編:ヨット
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー

いよいよヨットに乗る。


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我々の乗ったヨットが豪華客船クィーンエリザベスⅡとすれ違う。

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 この後は日記をつけていない。だから、詳しい記録がないので、頭の中に残っている記憶をたどり、ヨットに乗ったことを書いてみようと思う。

14、ヨットに乗る-644

その1

 11月15日からヨットに乗り、先ずは大西洋の島でポルトガル領の島、Madeiraに行くことになった。

 航海を始めて、初めての食事はその15日の夕食でどういうわけか、僕が作ることになった。
この時にはまだ船に慣れていないので、小さな空間のキッチンに長い間、しかも細かい料理の仕事をしていられず、船酔いをした。
これがこのヨットに乗ったときの唯一、船酔いであった。
その時には気分が悪くなり、吐き気をもよおしたが、一度海に吐きに行ったら、後はそれほど苦労をしなかった。
とにかく、簡単な食事を作り他の人々に食事を出すことが出来た。
その後は船酔いをすることなく快適に過ごすことが出来た。

 そうしてヨットの上での生活が始まった。
海は広くその海が好きで、ヨットに乗ったのであるが、このヨットではそれだけではない。
そこには人々との関係でいろいろなことが起こった。とにかく、このヨットの上ではその限られた社会だけなのであった。

 そんな限られた社会の中、イギリス人のオーナーのアレンは僕に仕事を指示する時には必ず、「頭を使えよ。」と言う。
始め僕は言葉がよく分からないから、深く考えろという意味で使っているのかと思っていた。
しかし、あまりにもその言葉をよく僕に言うし、他の白人たちには頭を使っていないようなのに「頭を使えよ。」と言う言葉は使わなかった。
僕は何だかおかしいと思ったのだ。
そして、ある時にアレンが僕に「錨を上げてくれ」と言い、「頭を使えよ」とやはり言ったのである。
その仕事は少し危険であった。
モーターで巻き上げるのだが、引っかかることがあり、素早く手でその引っかかりを外さなければならなかった。
アレンは危ないので見かねて、気をつけろと言いながら頭を使えと言うのであった。
そして、彼が僕に代わってやることと言ったら、僕がやっていたそのやり方と同じなのであった。
それを見ていた他の白人たちもアレンに「同じことをやりながら何を言っているのだ。」と言っていた。
即ち、アレンが頭を使えというぐらいだから僕のしている方法より、もっと良い方法があるのかと思っていたのに彼も同じ方法だったのである。
それだけではなく、僕はその機械にその時初めて触れたので、僕なりに頭を使ってやったことがそれだったのだ。
とにかく、他の白人もアレンをおかしく思い出し、その後で他の白人達は僕にアレンが人種差別をしているようだと言うのであった。
それを聞いた僕は非常に頭に来て、彼を許せない気がした。
ところが、ここは海の真っ只中であり、ここから逃げ出すことも出来ないと思ったのであった。

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世界一周、徒歩旅行、追加:ヨット編-1022

2016-02-09 07:56:45 | ヨット

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩+ヨット旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、追加編:ヨット
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー

13、ヨットに乗るまで-641

その5

11月12日(火曜日)

 今日はFaroを離れ、Viramouraへ行く。
夜にこの村に着く。ここは周りにあまり家がなく、ヨットハーバーだけのような村である。
従って、安いホテルなどはなく、今日はこのヨットハーバーから少し離れた空き地でテントを張る。
僕のテントは小さい半円を作るテントポールが折れてしまっていたので、生えている木を切ってそのポールの代用とする。
生きている木には申し訳ない。「木さん!ごめんなさい。」

 その様にテントを張って、夜にヨットハーバーの飲み屋(クラブハウスの中)で名前が「Wellis’s Bar」という所に行く。
ところで、テントを張ったまま、荷物も置いて、テントを離れるということは今までにあまりなかった。
テントを荒らされたり、物を盗まれたりすると思ったからである。
実際、周りには少ししか家がないので夜はほとんど人通りがないのであるが、、、、

 とにかく、この飲み屋で情報を集めに出かけて行ったのである。
この飲み屋はヨットハーバーの中にあるので、ヨットの人々はここに飲みに集まるのである。
ところが、そこでは思ったほど情報が集まらず、夜9時にはテントに帰って来た。
明日から本格的にしかも積極的にヨットを探そう。

 ヨットハーバーから離れている自分のテントに帰って来て、無事にテントがあることに安心する。
また、歩き終わってからの期間一ヵ月半ぶりにテントで寝るのである。懐かしい。

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世界一周、徒歩旅行、追加:ヨット編-1021

2016-02-04 04:32:58 | ヨット

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その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー

13、ヨットに乗るまで-640

その4

11月10日(日曜日)

 今日はポルトガルに再び入る。
このポルトガルの南の海岸の町、Faroという町である。
この町はポルトガルの南の町では大きい方である。だから、ヨーロッパのツーリストスポットになっていて旅行者が多い。
だから、僕も観光客と思われて不当な値段を吹っかけてくる。即ち、ボルのである。
何だかこの町はふとインドにいるような感覚になるのである。
即ち、金を持っている人からお金をセビるのは当たり前なのだという感覚である。
これはアジアでは当たり前であったのに、ここに来て久しぶりに頭に来ている。
とにかく、久しぶりにアジアを感じた。それはこの国もアジアに似ているからであろう。

11月11日(月曜日)

 11日もFaroという町で泊まり、2日間はここにいた。
ここにいる間、決意を強いられた。少し神経も使った。
それはこれから行くViramouraというヨットハーバーで会ってもいない人にヨットに乗っけてくれと英語で話をしなければならないからである。
このヨットハーバーのことは僕が歩いていた時の初めてポルトガルへ入った日に会ったイギリスの旅行者から聞いたのであった。
また、彼は僕にこのヨットハーバーへ訪ねて行ったら、良い人を紹介までしてくれた。
だから、明日僕はその会ってもいない人にお願いし、ヨットに乗ろうとしているのである。
僕はヨットに乗ったことがないので、クルーとしては足手まといであるだろう。
また、それでは僕が料理ができるか、というと? オーストラリアではキッチンヘルパをしていたが、西洋人が好むもの作れるか?
西洋料理の種類もあまり知らない。
これではヨットのオーナーに訴えるものがないではないかと思うのである。
これでは、まるで試験の前の受験生の心情である。

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世界一周、徒歩旅行、追加:ヨット編-1020

2016-01-31 08:12:08 | ヨット

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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、追加編:ヨット
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー

13、ヨットに乗るまで-639

その3

 11月9日(土曜日)

 セビリア!
 僕が何故セビリアにいるのか? ここには8日の夜の列車で移動したのであった。
このスペインにいて有名なセビリヤを見ないで過ぎて行ってしまいたくなかったからである。
セビリヤは「セビリヤの理髪師」などで有名である。その町は一体どんな町なのか見たかったのであった。
この町は古く、スペインの伝統のある町である。

 夜にふと考えたことがある。
人間とは何にでもマヒしてしまうものであると思うのである。
それは時に人間の社会がそうなっているのではないだろうか。もし、自然に触れているとマヒはしないであろう。
 例えば、臭いについてである。
常に人間は家の部屋なり、ビルデングの事務所なり空気が動かない所にいる。
同じ所で空気が動かないので、始めは臭った臭いも長い間、同じ臭いを嗅いでいるとその臭いが分からなくなる。
これは音でも同じことが言える。同じ音を聞いていると初めはうるさいと思った音もうるさく感じなくなる。
これは心も同じことが言えるのではないだろうか?感動も始めはしていても同じ事が続くとはじめの感動がなくなる。
これが怖いことである。
また、暑い赤道の国ではあまり発展している国がない。これは一年中温度の差があまりないし、食べるものは果物など一年中ある。
これでは人間が生活するのに困らない。新しく何かを生み出さなくても生活が出来るのである。
これも生活にマヒした結果、刺激がないからかもしれない。
結して、暑い国が悪いといっているのではない。
常に生活には刺激が必要であり、その刺激がなければ、作りながらでも生活しなければならないと思うのである。

それにしても自然の中にいると常に刺激的だと思うのである。

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