福谷章子のまちづくり

さまざまな役割を持ちながら暮らす中で、日々出会い触れ合う人々、街、文化、自然、出来事についてつづります。

祭が地域に根づくまで

2016年08月01日 | アート・文化


7月30日の土曜日に、おゆみ野夏祭りがありました。
1週間前に開催した、あきのみち公園みなみまつりと同じくらい参加者が多いお祭りです。

おゆみ野夏祭りの初回は、1990年に有志によって企画され、当時は空き地だった場所で行われていたと聞いています。
そのお祭りが、地域の人たちに愛され、やがて1994年から主催を町内自治会連絡協議会が担うようになりました。
その後、さまざまな努力が重ねられて、今日あるような盛大なお祭りになっています。
その起源から20年以上経過した今、振り返れば、個人的には三つの契機がありました。
存亡の危機に子どもたちの故郷の思い出として無くさないでほしいというお願いを小学校の保護者会長をしている時に主催者にしたこと、参加する子どもたちに何か食べさせたいとおゆみ野女性の会として出店を始めたこと、中学校と保護者有志と協力して中学生の活躍場所にしていこうと学校と協働の出店を始めたことです。

20年以上経過すると、綿あめやかき氷や焼きそばを買い歩いていた子どもたちは、今やテントの中で汗をかいたり、あるいは家族を連れて祭りを口実に里帰りをしたりという大人になっています。

新興の住宅地のお祭りは、神事や農耕での豊作を願うような祭事とは異なり、動機づけが曖昧です。
交流やまちづくりなどを目的に行われますが、それは「ねばならない」ことではないだけに、維持することはとても大変なのです。
役員となって快く運営を引き受けてくださる方々が毎年何人もいればこそ、成り立っています。
新しいまちで、核を形作っていくことは、30年40年かかるのだということを実感しています。

今年は、千葉市の花火大会と日程をずらしたせいか、参加者も例年より増えたように感じます。

おゆみ野女性の会で、子どもたちのお腹のたしに、と10年以上も前からこの夏まつりに出店しています。
祭の前日から、下ごしらえに何人も参加してくださいました。


当時中学生だった子どもたちが社会人となった今は、焼き鳥の焼き手としてテント裏で汗を流しています。
今年は用事が重なって参加できなかったメンバーもいましたが、夏の同窓会のようになっていることがしみじみと嬉しいと感じます。


それだけ私たちも年齢を重ねたということに他ならない話であります(^-^;







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