LOHASな日々@湘南

日々の暮らしの中にあるLOHASのヒントやちょっと素敵なことを徒然なるままに綴っていきます

流産を通して

2008-09-02 07:22:45 | 子育て


おいおいまだ続くの?はい、これでおしまいなので、もうちょいお付き合いを・・・

池川クリニックに行ってからというものの、相方と毎日毎日まわりをふわふわ飛んでいるであろう赤ちゃんに話しかけました。名前もつけました。いまのチビがおなかにいた時は、恥ずかしくて話しかけるなんてできなかった二人なのに・・・。バカみたい?感傷的?でも、そうすることで、気持ちは落ち着いていったのです。
二人で本もいくつか読んで新しい世界を知りました。もっと悲しい誕生死のことも知りました。池川先生の本と竹内正人先生の本、とてもよかったです。

言われるがまま最初の病院で手術を受けていたら、“染色体異常だったんなら、これでよかったんじゃないくらいにしか思わなかった”と相方もいい、本当に池川クリニックにいけてよかった。価値観がガラっと変わりました。Aさん、ありがとう。

心音が確認できたら妊娠を報告しようと思っていたので、今回のことは親にもまだ言っておらず、相談もできませんでした。友人も知ってるのはわずか。でも、このわずかな友人たちが、手紙をくれたり、食べ物を届けてくれたりして、この時期を支えてくれたのです。
そして、友人のCさんが、“○○ちゃん、ありがとう会をしようよ!”と言ってくれたのです。そこで、49日にあたる日(ALOHASカーニバルの前日でした)、いつものお気に入りの公園で青空ピクニックという形でお別れ会ならぬありがとう会をささやかに開催。顔を見ることができなかったその子へ、友人たちは手紙も書いてきてくれました。友よ~。感涙。

竹内正人先生によると、こういう風に亡くなった子供と向き合うことが大切なんだそうです。
「いつまでクヨクヨしてるの」「上の子がいるじゃない」「次があるわよ」
は禁句。
何でもないことのように扱ったり、自分でも感情を押し込めたりしていると、それが数年後に別の形であらわれて、ひどい場合は上の子を虐待したりというケースにつながることもあるそう。
池川クリニックに行ってなかったら私はこの子と向き合わず、受精で流れたのはよくあること、大したことなかったんだ、と自分に言い聞かせ続けてたことでしょう。そういう人がたくさんいると思ったので、個人的なことですが今回書いてみました。

そして、もうひとつ、この子は奇跡をもたらしてくれました。今回のことを女医である友人にも相談していました。大学病院にいる彼女は、今回の一連の出来事を通して、いままで西洋医学の中で疑問に思っていたこと(待つことをせず、訴訟を避けるため早急に処置をするなど)は、やっぱりおかしいと確信し、考えが変わったといいます。いままで私も彼女にそれとなく言ってみたことはあるけれど、でも考えを変えることはできなかった。でも、この子が変えちゃった。
短すぎる命でしたが、たくさんのメッセージを残してくれました。

ところで、池川先生は49日にお空に帰るといっていたけれど、実はそれより早く帰ってしまった気がしていたんです。いままで、
“○○ちゃん、そこにいるよ”
と教えてくれてたチビがある時期から
“いないよ”
と言って、その子の話をふっても取り合ってくれなくなったのです。
ん?と思っていたら、身体は次の子の受け入れ準備をしていたようです。こうして、今おなかの中に居る子はとても早く私たちのところに来てくれました。人に言うときは二人目だけど、私たちの中では三人目。現在18週、順調です。感謝です。

流産を通して私が知った世界を伝えたくて書いたのですが、改めて同じ経験をした人の多さにびっくりしています。個メールでご自身の体験を話してくださった方もありがとう!
長々と読んでくださって、ありがとうございました。