おいおいまだ続くの?はい、これでおしまいなので、もうちょいお付き合いを・・・。
池川クリニックに行ってからというものの、相方と毎日毎日まわりをふわふわ飛んでいるであろう赤ちゃんに話しかけました。名前もつけました。いまのチビがおなかにいた時は、恥ずかしくて話しかけるなんてできなかった二人なのに・・・。バカみたい?感傷的?でも、そうすることで、気持ちは落ち着いていったのです。
二人で本もいくつか読んで新しい世界を知りました。もっと悲しい誕生死のことも知りました。池川先生の本と竹内正人先生の本、とてもよかったです。
言われるがまま最初の病院で手術を受けていたら、“染色体異常だったんなら、これでよかったんじゃないくらいにしか思わなかった”と相方もいい、本当に池川クリニックにいけてよかった。価値観がガラっと変わりました。Aさん、ありがとう。
心音が確認できたら妊娠を報告しようと思っていたので、今回のことは親にもまだ言っておらず、相談もできませんでした。友人も知ってるのはわずか。でも、このわずかな友人たちが、手紙をくれたり、食べ物を届けてくれたりして、この時期を支えてくれたのです。
そして、友人のCさんが、“○○ちゃん、ありがとう会をしようよ!”と言ってくれたのです。そこで、49日にあたる日(ALOHASカーニバルの前日でした)、いつものお気に入りの公園で青空ピクニックという形でお別れ会ならぬありがとう会をささやかに開催。顔を見ることができなかったその子へ、友人たちは手紙も書いてきてくれました。友よ~。感涙。
竹内正人先生によると、こういう風に亡くなった子供と向き合うことが大切なんだそうです。
「いつまでクヨクヨしてるの」「上の子がいるじゃない」「次があるわよ」
は禁句。
何でもないことのように扱ったり、自分でも感情を押し込めたりしていると、それが数年後に別の形であらわれて、ひどい場合は上の子を虐待したりというケースにつながることもあるそう。
池川クリニックに行ってなかったら私はこの子と向き合わず、受精で流れたのはよくあること、大したことなかったんだ、と自分に言い聞かせ続けてたことでしょう。そういう人がたくさんいると思ったので、個人的なことですが今回書いてみました。
そして、もうひとつ、この子は奇跡をもたらしてくれました。今回のことを女医である友人にも相談していました。大学病院にいる彼女は、今回の一連の出来事を通して、いままで西洋医学の中で疑問に思っていたこと(待つことをせず、訴訟を避けるため早急に処置をするなど)は、やっぱりおかしいと確信し、考えが変わったといいます。いままで私も彼女にそれとなく言ってみたことはあるけれど、でも考えを変えることはできなかった。でも、この子が変えちゃった。
短すぎる命でしたが、たくさんのメッセージを残してくれました。
ところで、池川先生は49日にお空に帰るといっていたけれど、実はそれより早く帰ってしまった気がしていたんです。いままで、
“○○ちゃん、そこにいるよ”
と教えてくれてたチビがある時期から
“いないよ”
と言って、その子の話をふっても取り合ってくれなくなったのです。
ん?と思っていたら、身体は次の子の受け入れ準備をしていたようです。こうして、今おなかの中に居る子はとても早く私たちのところに来てくれました。人に言うときは二人目だけど、私たちの中では三人目。現在18週、順調です。感謝です。
流産を通して私が知った世界を伝えたくて書いたのですが、改めて同じ経験をした人の多さにびっくりしています。個メールでご自身の体験を話してくださった方もありがとう!
長々と読んでくださって、ありがとうございました。
彼女には双子の姪っ子がいて、ある時にお腹の中の
様子を聞いてみたそうです。
すると、お腹に居たときに二人は話していたと
言うことでした。
例えば、「今日は、ちょっと締め付けられるよね。」
とか、「今日は快適だね。」とか。
それで、ある時に「今日は、いつもより何だか
締め付けられるよね。」と話していたら、急に
相方が居なくなって、次には目が開けられないほど
まぶしくなったと言うことでした。
その双子の姪っ子達は今では、そんな記憶は無く
ある時期にしか解らない記憶のようです。
死と生は、永遠と繰り返すことなのか、
また、この世で必ず確定していることは、
生を受けたら必ず死は待っていることで、
それが、早いか遅いかということだけど。
あまりにも早すぎる死は、止め処も無い涙を誘い
出来ることならば、闇の世界をさ迷ってでも
連れ戻したいと願った。
この世では、九死に一生を得たら喜ぶけれど、
あの世では、とても悲しんでいるらしい。
そして、人が亡くなる時には、あの世では
産まれてくる子供を歓迎するように喜ぶとか。
でも、私は、あなたに会いたい。
今でも、会いたい。
いつか、必ずまた会えるよね。
医師からは手術を勧められましたが
「流産なんて何かの間違いで赤ちゃんはきっと生きている。
それなのに手術で出したりしたら赤ちゃんが死んじゃう。」
っと思い込んで
医師の言葉がどうしても受け入れられませんでした。
その後は大変でしたが
時間をかけて
苦しい思いをして
自分達なりに出産をして
自分達なりに赤ちゃんを送り出せたと思っています。
私もenjoy_lohasさんと同じく夫や友人達に支えられ助けられました。
きっと1人では乗り越えられなかったと思います。
この経験を通していろんなことを学びました。
本当に短い命だったけれど確かにそこにいた赤ちゃんに
改めて感謝したいと思っています(^^)
受け止めることができたことは
ものすごく稀有なことのように
思います。
enjoy_lohasさんだからこそ
経験できた、貴重な体験だと思います。
あきらめずに池川先生を探すことが
できて、本当に良かったですね。
私は子供を持った経験はないけど、
ものすごく勉強になります。
とてもプライベートなことを
ブログで公開した勇気に
感銘を受けました!!!
新しい命とenjoy_lohasさん、お体お大事にね☆
さくらんぼさんのコメント読んで泣きそうになって
しまいました~。二つの命を送り出されてたんです
ね。いつからが命・・・いろんな節がありますよね。
でも、今回私は確かにこの子の強い意思と母親思い
の優しさを感じたんです。だから、人がなんと言おう
と私にとっては短かったけれど輝いていた命。
次の子は同じ魂なのかしら?それともその子が連れて
きてくれるお友達なのかしら?と楽しみです。
≫すぎちょんさん
素敵なお話をありがとうございます。
私もいつかまたきっと会える気がしているんです。
今度生まれてくる子が同じ魂なのか、違うのか・・・
鈍感な私には分からないかもしれないけれど、でも
今のチビを通して、いろんな自然を通してきっと
見守っていてくれるんだろうな、って感じています。
≫蘭丸さん
そうですが・・・体験をシェアしてくださって、
ありがとうございます。
私もお医者さんに告げられたとき、まだツワリが
あるのにうそ?と受け入れられませんでした。
本当にこの小さな命に感謝ですね。蘭丸さんに
そうやって送り出してもらえた命はきっときっと
幸せだったと思います。
≫めんちさん
いえいえ、私はね、命というものに対してとても
鈍感なの。そんな私もこの経験を通して少しは
鈍感から抜け出せるかな、といった感じなのよ。
ブログに書くことは迷ったんだけれど、なんだか
その子に書けと言われているような気がしてね。
めんちさんもいつか結婚して子供を宿すことが
あったら、命の声に耳を傾けてみてね。
何だか涙が止まらなかったよ。
書くことには抵抗があったかもしれないけど
これを読んで多くの人が色々なことを考えてるんだろうな。
良いお話をありがとう!
エンロハさんの今回の体験が、私の過去・現在・未来すべてにつながってるのを痛感しました。
池川先生の言葉ってホントに心を救ってくれますね。
貴重な話をありがとう
ALOHASの準備のときは流産直後だったから、
toronjaさんが車出して送り迎えしてくれた
ことがとっても助かりました!ありがとねえ。
お互いいまある小さな命との時を楽しみましょ♪
≫空模様さん
いや~、こういうことは自分自身に実際に
ふりかかってみないとその悲しみの深さって
いうのは分からないものですね。いままで自分
の軽い発言で、どんなに多くの人を傷つけてきた
かと思うとぞっとします。会いたかったけれど、
でも短くてもたくさんのメッセージを持ってきて
くれてありがとう、という気持ちです。
人は天からの導きがあって何かを経験し、何かを知るのだと思います。
辛い経験も、嬉しい出来事も、すべてenjoy_lohasさんにとって必要なことなのでしょうね。
お空に帰ってしまった子もずっと家族として一緒に生き続けるのでしょう。
やさしさを運んできてくれたいい子だね。
自分がその立場にならないと分からないことはたくさんあります。
以前、婦人科系の病気になったとき、病院の待合室で妊婦さんと一緒になるのはつらいものでした。
別に大した病気でもなかった自分ですらそう感じたので、もっと重い病気や不妊治療の人はさぞかし辛い思いをされてるだろうなと思いました。
もっとゆとりのある社会ならお医者さんも患者ひとりひとりにじっくり向き合ってくれるのかな?
ありがと~。そうなのいい子なの(親ばか)。
今回読んだ竹内正人先生の本は医療者向けだった
ので、医療関係者がどういう心理でそういう言動
に出てしまうかも理解できて、う~ん、難しいな
あ、と。ヘタに同情してしまっても“先生なら
わかってくれると思ったのに!”と逆恨みをかったり。でも、昔はもっと患者に寄り添う医療だったと
思うのです。町医者だった頃、医者と患者の間には
もっとコミュニケーションがあったと思う。ここ
でもコミュニケーションの希薄さがこの冷たさを
生んでいるのかな、と思う今日この頃です。