日本の津々浦々で、
漁師が水死体を上げると、その家は栄える・・・・
という言い伝えがある。
この話を聞いて、いい話だと思った。
要するに、
死者に遭遇した場合、
見て見ぬふりをするな! ということである。
そして、
いつまでも死者のことを忘れず、
記憶しておくことが ・・・・
生きている者が唯一できる
死者への礼儀 であるという教えである。
筑前五ヵ浦廻船 能古島 の船が、
周防大津島沖で遭難し、十人の水夫(かこ)が命を落とした・・・・
大津島十人墓 の話も然り。
http://blog.goo.ne.jp/sholly/d/20100824
京の上臈島へ置き去りにされた京の女が
寂しさのあまり身を投げ、渋川の海岸へ流れ着いた・・・・
渋川八幡宮 浜の神様 の話も然り。
村中の若者から袋叩きに合い、簀巻きにされた長兵衛が、
宇野のうそごえの突端から海に放り投げられた・・・・
日輪庵の盆踊り の話も然り。
なまけものの父親からせっかんを受け、縄で縛られて
海へ放り投げられて死んだ・・・・
お菊明神 の話も然り。
岡山城明け渡しの際、宇喜多一族の男女七人が旭川を下って
古里の八浜に逃れる途中、難破した・・・・
七人みさき の話も然り。
http://blog.goo.ne.jp/sholly/d/20120720
源平水島合戦の落ち武者が、
白石島に上陸し、火攻めにあって全滅した・・・・
白石踊 の話も然り。
http://www.youtube.com/watch?v=7gOApDNXnCI
だけど、
右肩上がりにトチ狂った
高度成長期の日本では・・・・
死者への礼儀 などは、
効率優先、資本主義の暴走列車の発する
けたたましい鎚音にかき消されてしまっている。
特に、海難事故については、
恐ろしいほど、人々の忘却は早い。
昭和30年5月11日、
濃霧の中、女木島沖で 紫雲丸 は沈み、
修学旅行中の児童生徒100名を含む
168名 もの人命が犠牲になった。
いわゆる、
紫雲丸事故 である。
事故後、
「橋があったら、
こんな悲しい事故は起こらなかった」
という論理を推進理由に掲げる
様々な思惑を持った人たちの働きによって
最初から破綻している
マンモス公共事業 瀬戸大橋 が完成し、
夢の架け橋 という名の 悪夢の架け橋 は、
瀬戸内周辺の港町を、ことごとく衰退させてしまった。
その中でも、
宇野という港町の衰退はやりきれない。
瀬戸大橋 の建設費は 1兆3000億円!
当初、この莫大な建設費を
通行料金の収入で返済する予定だったが、
絵に描いた餅は食えるわけもなく・・・・
国は地方にも建設費を肩代わりをしろと
出資金名目で金を要求し続ける。
出資比率は 国:地方=2:1
岡山県と香川県は 年間26億円 もの大金を、
いやいや払わされ続けている。
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/540/
26億円 × 2県 = 52億円
出資比率は 国:地方 = 2 : 1 だから、
52億円 × 3 = 156億円!
年間156億円 を1年365日で割ると、
156億円 ÷ 365日 ≒ 4,274万円!!!
瀬戸大橋 は、
毎日毎日、 4,274万円 も食ってるわけだ!
すべて、税金である。
毎日毎日、 4,274万円 も食ってる
馬鹿げた橋のおかげで、
瀬戸内沿岸の町や会社が衰退してゆく現実は、
いったいなんなんだろうか?
間違いなく、この時代の出口は無い!
間違いなく、この国の舵取りは狂ってる!
話を事故に戻そう。
あの日、
紫雲丸 は 宇野港 に向かっていたのだ。
犠牲となった多くの児童生徒は、
まだ見ぬ 宇野港 宇野駅 から列車に乗る旅を
楽しみに・・・・ 楽しみに・・・・ していたのだ。
私には 犠牲者168名の御霊 が
未だに 宇野港 に上陸することなく
備讃瀬戸を彷徨っているように思える。
海の底は、暗く冷たい。
紫雲丸事故 の 犠牲者168名 の御霊は、
あの日の時刻 午前6時56分 で止まったままなのに・・・・
宇野港 に、
犠牲者を慰霊するものは全くない。
ということで、
2012年 岡山芸術回廊 において、
作品 『168(いろは)』 を、
玉野会場 宇野港東山ビル で発表した。
作品『168』
午前6時56分で止まったままの・・・・168個の時計。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
だけども、
この作品の主題 死者への礼儀 について、
反応を見せてくれた人は、わずか数人。
浅き夢見し 酔ひもせず・・・・
そんなことにはメゲず、
この情感は 『八咫丸プロジェクト』 へ
引き継がれてゆくのだった。
帰りの便で女木島沖にさしかかると、決まって紫雲丸事故の話をしてくれました。当時は女木島の灯台下に慰霊碑がありました。反復して聞いたことは、深く脳裏に刻まれます。
僕にできること、僕の役割りは、祖母と同じように反復して紫雲丸事故のことを人に語ることのような気がします。まあ、昔話をまたか!といった感じで、めんどくさそうに聞く人が多いですが・・・。