関ヶ原の後、
岡山城明け渡しの際、
宇喜多一族の男女七人が旭川を下って
古里の八浜に逃れる途中、この岬の沖で難破した。
一部始終を見ていた八浜の漁師達が
後難を恐れて見捨てたため、七人は海の藻屑と消えた。
その後、
八浜の人が原因不明の難病にかかったり、
不漁が続くので祈祷師に祈願したところ、
七人の怨霊が祟っているとのことであった。
そこで、
七体の地蔵を見石の海岸に建てて供養した。
そんな悲しい物語を語ってくれる私設の施設が
玉野市と岡山市の境の 松尾の鼻 にある。
それは、八浜名物 『湖畔の駅』
私と同じチャンネルの泣ける施設である。
この施設の特異なところは、
海を奪われた八浜 という視点に立っているところだ。
少し昔まで 児島湖 は海だった。
吉備の穴海 と呼ばれた美しい海だった。
そんな、豊かだった海は
干拓事業と児島湾締切堤防によって
泥の湖 と化してしまった。
八浜で、
海の思い出 を語ってくれるところは
今や、この施設だけだろう。