八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

八浜 七人みさき

2012-07-20 00:04:35 | イケン!

 

関ヶ原の後、

 

岡山城明け渡しの際、

宇喜多一族の男女七人が旭川を下って

古里の八浜に逃れる途中、この岬の沖で難破した。

Aimg_4425

 

一部始終を見ていた八浜の漁師達が

後難を恐れて見捨てたため、七人は海の藻屑と消えた。

Aimg_4404

 

その後、

八浜の人が原因不明の難病にかかったり、

不漁が続くので祈祷師に祈願したところ、

七人の怨霊が祟っているとのことであった。

 

そこで、

七体の地蔵を見石の海岸に建てて供養した。

Aimg_4419

 

そんな悲しい物語を語ってくれる私設の施設が

玉野市と岡山市の境の 松尾の鼻 にある。 

 

それは、八浜名物 『湖畔の駅』

Aimg_4407

 

私と同じチャンネルの泣ける施設である。

Aimg_4411

Aimg_4435

 

この施設の特異なところは、

海を奪われた八浜 という視点に立っているところだ。 

Aimg_4437

 

少し昔まで 児島湖 は海だった。 

吉備の穴海 と呼ばれた美しい海だった。

11_p02_l

 

そんな、豊かだった海は

干拓事業と児島湾締切堤防によって

泥の湖 と化してしまった。

 

八浜で、

海の思い出 を語ってくれるところは

今や、この施設だけだろう。