八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

『紫雲丸』 物語 その3

2012-11-05 21:00:23 | イケン!

 

1955年(昭和30年)5月11日、

 

午前6時40分、

上り 宇高連絡客船 紫雲丸 は

船客781人と貨車等19両を載せて高松桟橋を出航し

約10ノットの全速力で岡山県宇野に向かい、

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午前6時10分、

下り 宇高連絡貨物船 第三宇高丸 は

貨車18両を載せて宇野桟橋を出航し、

約12.5ノットの全速力で高松に向かっていた。

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午前6時56分

濃霧の中、香川県女木島沖において、

 

紫雲丸 右舷船尾に 第三宇高丸 船首が

前方から約70度の角度で衝突し・・・・

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紫雲丸 は沈没した。

 

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紫雲丸事故 の犠牲者は以下のとおりである。

 

 死亡者   一般旅客58名

        修学旅行関係者108名(生徒100名、学校関係者8名)

        紫雲丸船員2名(船長及び操舵掛)     計168名

 負傷者   旅客56名

        乗組員1名        計 57名

 

 

紫雲丸事故 後、

 
 
「橋があったら、

こんな悲しい事故は起こらなかった」

 

という論理を推進理由に掲げる

様々な思惑を持った人たちの働きによって

 
 
最初から破綻している

マンモス公共事業 『本四架橋』 が完成し、
 
瀬戸内周辺の港町は、
ことごとく衰退してしまった。
 
 

その中でも、

宇野という港町の衰退はやりきれない。

 

 
事故の日に話を戻そう。

 

あの日、

紫雲丸 は宇野港に向かっていたのだ。

 

犠牲となった多くの児童生徒は、

まだ見ぬ宇野港(宇野駅)から列車に乗る旅を

楽しみに、楽しみにしていたのだ。

 

私には、

 

犠牲者168名 の御霊が

未だに宇野港に上陸することなく

備讃瀬戸を彷徨っているように思える。
 

今からでも遅くはない。

 

宇野港で、

犠牲者168名 の御霊を

手厚く迎えることはできないものだろうか?

 

犠牲者168名 の御霊が迷わないように、

両手をいっぱいに広げて、

温かく迎えることはできないものだろうか?

 

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海の底は、暗く冷たい。

犠牲者168名 の御霊は・・・・

 

あの日の時刻、

午前6時56分 で止まったままなのだ。

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                                      作品『168』

 

紫雲丸事故と宇野港をテーマにした 作品『168』 は、

岡山芸術回廊 玉野会場 東山ビル『入居者募集中』 にて展示予定

http://www.unozukuri.com/okt/

 

 

   


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