八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

金刀比羅の宮は畏し舟人が流し初穂を捧ぐるもうべ

2014-07-12 02:12:02 | イケン!

 

遠くの地の者が、

金刀比羅宮へ神酒を奉納したいときに、

酒を詰めた樽を海に流す。

 

Photo

 

いわゆる、

『流し樽(金毘羅樽)』である。

 

この樽を発見した舟人は、

次々と送って丸亀か多度津の港へ届くようにし、

その付近の者が金刀比羅宮へ運んで代参する。

 

他に、流し絵馬、流し初穂、

賽銭を入れた樽なども流されて、

同じように金刀比羅宮へ奉納されたという。

 

01

 

この話は、

当時、金刀比羅宮が瀬戸内沿岸の大衆の間で

いかに熱烈な尊崇を集めていたかをよく表している。

 

Konpira

  

また、

備前児島の瑜伽山と、

讃岐金刀比羅宮の両参りの信仰もあり、

 

瑜伽山だけしか参れなかった参拝者が、

備前児島下村浦から讃岐へ向けて、

数多く『流し樽(金毘羅樽)』を流したことだろう。

 

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ところで、

備前と讃岐の国境を決めた

『樽流し伝説』の話は、

 

児島郡小川村の庄屋 菅野彦九郎 が

発案したアイデアだとされているが、

 

菅野彦九郎 の脳裏には、

流した樽は、必ず讃岐にたどり着くという

信念があったのかもしれない。

 

実際のところ『流し樽』は、

最終的に金刀比羅宮へたどり着くのだが、

 

多くの漁民や船乗りが、

信仰心によって樽を渡し繋いでいる事実を

菅野彦九郎 は見落としていたのだろう。

 

金刀比羅信仰と関係のない樽は、

ただただ潮に乗って備前側の海を通り、 

瀬戸内海の多くの島は讃岐領となった。

 

 

ぜひ、

 

泣きのもう一回!

岡山県から香川県に頼み込んで、

 

もう一度、

樽を流して国境を決める実験をしてみたい。

Tarunagashi

http://blog.goo.ne.jp/sholly/d/20110615

 

それでも、

流し樽で勝負がつかないならば、

 

岡山、香川の両県知事が対決する

お座敷『こんぴらふねふね』決戦を観てみたい。

 

おもしろきこともなき世をおもしろく。

 

 


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