遠くの地の者が、
金刀比羅宮へ神酒を奉納したいときに、
酒を詰めた樽を海に流す。
いわゆる、
『流し樽(金毘羅樽)』である。
この樽を発見した舟人は、
次々と送って丸亀か多度津の港へ届くようにし、
その付近の者が金刀比羅宮へ運んで代参する。
他に、流し絵馬、流し初穂、
賽銭を入れた樽なども流されて、
同じように金刀比羅宮へ奉納されたという。
この話は、
当時、金刀比羅宮が瀬戸内沿岸の大衆の間で
いかに熱烈な尊崇を集めていたかをよく表している。
また、
備前児島の瑜伽山と、
讃岐金刀比羅宮の両参りの信仰もあり、
瑜伽山だけしか参れなかった参拝者が、
備前児島下村浦から讃岐へ向けて、
数多く『流し樽(金毘羅樽)』を流したことだろう。
ところで、
備前と讃岐の国境を決めた
『樽流し伝説』の話は、
児島郡小川村の庄屋 菅野彦九郎 が
発案したアイデアだとされているが、
菅野彦九郎 の脳裏には、
流した樽は、必ず讃岐にたどり着くという
信念があったのかもしれない。
実際のところ『流し樽』は、
最終的に金刀比羅宮へたどり着くのだが、
多くの漁民や船乗りが、
信仰心によって樽を渡し繋いでいる事実を
菅野彦九郎 は見落としていたのだろう。
金刀比羅信仰と関係のない樽は、
ただただ潮に乗って備前側の海を通り、
瀬戸内海の多くの島は讃岐領となった。
ぜひ、
泣きのもう一回!
岡山県から香川県に頼み込んで、
もう一度、
樽を流して国境を決める実験をしてみたい。
http://blog.goo.ne.jp/sholly/d/20110615
それでも、
流し樽で勝負がつかないならば、
岡山、香川の両県知事が対決する
お座敷『こんぴらふねふね』決戦を観てみたい。
おもしろきこともなき世をおもしろく。