百済 にはありとあらゆるものがあり、
もし 百済 にないものがあるとすれば、
それは、
くだらないもの = 百済ないもの
だそうだ。
また、
聖武天皇が熊野行幸の折に、
お供をしていた山部赤人は 紀伊和歌浦 で歌を詠む。
若浦爾 鹽滿來者
滷乎無美 葦邊乎指天 多頭鳴渡 (万葉集 巻六の919番)
(和歌浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る)
多くの文人、貴族らに
愛されてきた 和歌浦 には、
ありとあらゆる知性があり、
もし 和歌浦 にないものがあるとすれば、
それは、
わからないもの = 和歌浦ないもの
だそうだ。
また、
熊野本宮 音無の里 を舞台にした
謡曲 「巻絹」 では、
熊野本宮へ巻絹を届ける都よりの使者が
途中、音無の天神に参り、和歌を詠む。
使者は約束の刻限を過ぎて熊野本宮に到着したため、
臣下はそれを咎め、使者を縛り、罰っする。
そこへ音無天神が憑依した巫女が現れ、
使者が遅参したのは、
音無天神にて和歌を詠んでいたためだと告げる。
使者は 「音無にかつ咲き初むる梅の花」 と上の句を詠み、
巫女は 「匂はざりせば誰か知るべき」 と下の句を歌い継いだ。
臣下は自分の行動を 大人気ない と恥じ、
巫女は狂おしく神楽を舞い、クライマックスとなる。
この話から、
おとなげない = 音無の里にない
となったそうだ。
だから私は、
どこか無人島を探して、
『ツマンの国』 という独立国家を
建国しようと思っている。
『ツマンの国』 以外の国にあるものは、
ツマンナイ ものだ!
このユートピア構想を
ヒマコに話すと・・・・
ヒマコはヒマコで、
『ありえなくなくなく』 という村をつくるそうだ。
ありえなくなくなくない 話だ。
ちなみに、
宮沢賢治 の イーハトーブ は、
イーハトーブナイ という言葉に進化することなく・・・・
後年、井上陽水 によって、
『ワカンナイ』 という名曲となった。
雨にも風にも負けないでね
暑さや寒さに勝ちつづけて
一日 すこしのパンとミルクだけで
カヤブキ屋根まで届く
電波を受けながら暮らせるかい?
・・・・
君の言葉は誰にもワカンナイ
君の静かな願いもワカンナイ
望むかたちが決まればつまんない
君の時代が今ではワカンナイ
・・・・
知らんけど。