八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

『慈悲と天秤 死刑囚小林竜司との対話』 岡崎正尚著

2013-07-27 02:26:04 | イケン!

 

2006年6月に起こった

「東大阪集団暴行殺人事件」 の、

死刑囚 小林竜司 との対面・文通を通して、

死刑判決基準の曖昧さや、司法の矛盾、

真実の贖罪について鋭く考察したノンフィクション・・・・

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『慈悲と天秤 死刑囚小林竜司との対話』 を読んだ。
 
著者は、25歳の法科大学院生・岡崎正尚。 

 

「東大阪集団暴行殺人事件」 の概要は次のとおり。

  

 A男の彼女がB男とメールのやりとりをしていた。

 怒ったA男は仲間とともに、

 B男とその友人を呼び出して暴行を加え、

 さらに、暴力団との関係をほのめかし、

 海に沈めるか山に埋めると脅し金を要求した。

 恐喝されたB男の友人は、

 地元(岡山県玉野市)の幼なじみに相談した。

 幼なじみは、仕返しをしようと思いついた。

 A男たちを玉野に誘い出し、

 暴行の末に生き埋めにして2人を殺害した。

 

この事件をトランプで例えると、

配られた13枚のカードが、すべてスペードの

エースからキングまで揃ったような・・・・

 

不吉なめぐり合わせが重なったことで

凶悪な犯罪へと暴走させた事件である。

 

一枚でもハートかダイヤのカードが混じっていたら、

このような大事件にならなかったと思う。

 

そもそも、殺害された2人が起こした

最初の暴行恐喝事件がなければ、

 

この事件に関わった若者たち、その家族、

誰も不幸にならなかった事件である。

 

また、

 

20歳前後の血気盛んな若者からすれば、

こういったトラブルに関わる確率も少なからずあることだろう。

 

この私の身に起こっていたとしても不思議ではない。

 

 

2006年当時、

福岡でこのニュースを聞いた私は、

八浜と妹尾の漁場争いの話を思い出した。

 

 昔、妹尾と八浜と漁場争ひをした事があった。

 その際、妹尾の者を殺したとか、

 此の者をバクシンの木に吊ったとか、

 色々と話が伝えられてゐるが、

 兎に角その責を負ふてウドの幸右衛門といふ人が

 妹尾に行き、泥の中に生埋めにされて死んだ。    という話である。

 

「東大阪集団暴行殺人事件」 が江戸時代ならば、

悪い奴をとっちめた武勇伝として語り継がれる

昔ばなしになっていたかもしれない。

 

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この本を読み進めるうちに、

小林竜司 という男に魅力を感じるようになった。

 

殺人という罪の重さを自覚し、

贖罪の意識を深めている男に対して、

再審の扉はこうも重いものなのか?

 

本書を読む限り、弁護士も裁判官も、

若者心理を見落としたまま、

十分な弁護も審議もなされているとは思えない。

 

特に、今日の学歴社会を考えた上で、

他の大学生たちと 小林竜司 の立ち位置を思いやれば、 

エスカレートしていった犯罪心理を読み解けるはずなのだが、

 

司法社会で暮らす学歴社会のトップランナーたちには、

底辺に生きる者の心理を読み解く方程式を

持ち得ていないのだろう。

 

こんなにも簡単に、

司法は死刑を決めてしまうものなのだろうか?

 

小林竜司 は、

生きるに値する人間である。

 

これだけの人格を持ち得た人間に対して行われる

死刑という国家による殺人は、

いったい何の意味があるのだろうか?

 

この事件が、もう少し遅く、

裁判員制度で裁かれていたならば、

おそらく死刑ではなく、無期刑となっていただろう。

 

 

この事件は、最後の最後まで、

一審、控訴審、上告審と・・・・

スペードのカードが揃ってしまった不吉を感じずにはいられない。

 

 

※裁判の経緯

 一 審  死刑判決

       (2007年5月22日 大阪地裁 和田真裁判長)

 控訴審  控訴棄却 死刑判決支持

       (2008年5月20日 大阪高裁 若原正樹裁判長)

 上告審   上告棄却 死刑確定

       (2011年3月25日 最高裁 千葉勝美裁判長)

 

 

死刑判決というのに、あまりに手短すぎる。

 

 

 


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