和歌山新宮の熊野川には
組立て式の住居に暮らす民がいた。
川原家(かわらや) という住居群である。
かつて、
熊野速玉大社 の川原には
百数十軒の 川原家 が建ち並んでいた。
釘を1本も使わず、
組立て、解体が簡単にでき、
大水の時は、
瞬く間に解体して、家ごと避難できる
モバイルな住居である。
川原家 による町並みは
宿屋、鍛冶屋、散髪屋、銭湯、飲食店・・・・ と
何でも揃っていたという。
そんなシンプルな 川原家 も
ダムや道路の整備などで川の水運が途絶え
昭和20年代に無くなったという。
・・・・
一遍上人 ・・・・
世阿弥 ・・・・
蓑虫山人 ・・・・
井上井月(せいげつ) ・・・・
尾崎放哉 ・・・・
山窩(さんか)・・・・
家船(えぶね)・・・・
そんなベースがあって、
やっぱりこうなるの???
という私の人生であるが・・・・
やはり、
まっすぐ導かれてゆく先は・・・・
阿弥文化の基を成した、
遊行の捨聖 一遍上人 なのか?
そもそも、
時代が 一遍上人 を、
呼び起こそうとしているのか?
と、あれこれ考えると、
不思議と気持ちが楽ちんになる。