八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

あの日、紫雲丸は宇野港に向かっていた・・・・

2011-12-02 00:01:00 | イケン!

 

紫雲丸(瀬戸丸) と 

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第三宇高丸 は、

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昭和30年5月11日、

濃霧の中、女木島沖で衝突し、

 

紫雲丸 は沈んだ。

 

修学旅行中の児童生徒100名を含む

168名もの人命が犠牲になった

紫雲丸事故 の話なのであるが・・・・

 

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この悲しい海難事故の後、

 

「橋があったら、こんな悲しい事故は起こらなかった」 

というヘンな論理を推進理由に掲げる

様々な思惑を持った人たちの働きによって

 

最初から破綻している

マンモス公共事業 本四架橋 が完成し、

瀬戸内周辺の港町はことごとく衰退してしまった。

  

 

事故の日に話を戻そう。

 

あの日、

紫雲丸 は 宇野港 に向かっていたのだ。

 

犠牲となった多くの児童生徒は、

まだ見ぬ 宇野港 宇野駅 から列車に乗る旅を

楽しみに・・・・ 楽しみに・・・・ していたのだ。

 

私には 犠牲者168名の御霊 が

未だに 宇野港 に上陸することなく

備讃瀬戸を彷徨っているように思える。

 

海の底は、暗く冷たい。

 

 

今からでも遅くはない。

 

宇野港 で、

紫雲丸 犠牲者168名の御霊 を

手厚く迎えることはできないものだろうか?

 

そんな想いを抱くのは

私だけだろうか?

 

 

暑い夏のお盆の夜、

紫雲丸 犠牲者168名の御霊 が迷わないように・・・・

 

宇野港 の広大な空き地で

迎え火を焚く 鎮魂の儀式 を行ってみたい。

 

 

 

 


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