八浜 は、
宇野港の開港 宇野線の開通 を期に衰退する。
児島半島の玄関口として繁栄した誇りは消え失せ、
八浜の海運 は一気に廃れてゆく。
昭和になって、
国策 児島湾干拓事業 児島湾締切堤防 の完成は
決定的に 八浜 を時代から取り残した。
しかし、
海を奪われた 八浜 に、
近代 が手を差し伸べた形跡がある。
児島湾締切堤防 を利用した
八浜 を通る幻の 計画鉄道 の計画である。
ひょっとすると、
この 計画鉄道 は、
海が奪われる 八浜 の住民を納得させるために
国が描いた 嘘八百計画 だったのかもしれない。
もしも、
この 計画鉄道 が完成していたならば、
八浜 の町は一変していただろう。
高度成長 と共に、
繁栄の道を歩んだかもしれないが、
きっと、
八浜 は、
歴史的な記憶 を喪失して、
悪しき郊外 へと豹変していただろう。
幸か不幸か、
計画鉄道 が完成しなかったおかげで、
八浜 は 近代 に魂を売ることなく、
歴史的な町並み が残った。
さて問題は、
残された 八浜の歴史的町並み を
これからどうするのか? なのだけれど・・・・
補助金? でもなく、
観光? でもなく、
アート? でもなく、
何か 活きた妙案 はないものか?
と考え続けているのだけど、
この頃、
朽ちてゆく美学 もアリかと
考えるようになった。
私は、
気長に、古い建物や町並みを調査し、
図面化してアーカイブしようかと考えている。
賛同、協力してくれる方はご一報を!
だけど、でっかい石を使って昭和天皇が視察に来た記念碑が建っているところをみると、早々に鉄道計画は断念したのだろうと思われます。
もしも、鉄道が通っていたらどうなっていたのでしょう?
海原をせきし堤にたちて見れば
しほならぬうみにかはりつつあり (昭和天皇)
歌の意は、
美しい児島湾をせき止める堤に立って見わたせば、
潮の満ち引きのない死んだ海に変わりつつあるようだ
海洋生物学者の立場からすると、
この風景はさぞかし辛かったのではないかと・・・・
国政に意見を申せぬ昭和天皇の孤独にハッとしました。
http://sholly.blog.ocn.ne.jp/akaaokiiro/2013/03/post_5fe1.html
八浜は海運が全てと思い、宇野線も八浜には引き込まなかったと聞いています。今のトンネルも風が通ると寒いと中でカーブをかけて完成しています。
鉄道は当時の八浜の力関係がよく分かります。ダメだと言えばだめだった政治力の強さを思い知ります。
児島湾締切堤防を通る岡山臨港鉄道の計画も時すでに遅しであります。