夏になると・・・・
家道楽 吉屋信子 という人を思い浮かべる。
吉屋信子 とは、
大正から昭和にかけて活躍した小説家。
『青踏』の平塚らいてう、伊藤野枝とも交流があったという。
吉屋信子 は、
生涯に8軒の家を建てたという。
その内3軒を、
建築家 吉田五十八 に設計依頼している。
終の棲家となった、
鎌倉長谷の家(昭和37年竣工)については、
「尼寺のような家を・・・」 と
吉田五十八 に要望を伝えたという。
吉屋信子 は、
50年来の恋人(同性愛)である 門馬千代 とふたり、
この家でひっそりと暮らし、
昭和48年、結腸癌を患い77歳で生涯を終える。
そして、もうひとつの話・・・・
夏になるときまって聴きたくなる
吉田拓郎 の名曲 『せんこう花火』 の作詞は、
なんと・・・・ 吉屋信子 である。
せんこう花火がほしいんです
海へ行こうと思います
誰かせんこう花火をください
ひとりぼっちの私に
・・・・
中学の時から、
この詞の空間(=無常感)は好きだった。
『せんこう花火』 のリリースは昭和47年。
吉屋信子 が闘病の末、この世を去ったのが昭和48年。
風が吹いていました
ひとりで歩いていました
死に忘れたトンボが一匹
石ころにつまづきました
なんでもないのに あー 泣きました
ずっと連れ添ってきた 門馬千代 を残し、
ひとりで死への旅路に赴く 吉屋信子 の
無常感を思うと・・・・
尼寺物語みたいでグッとくるのだが、
吉田拓郎 と 吉屋信子 との接点が、
イマイチわからない???
今度、機会があったら、
鎌倉の 吉屋信子記念館(旧吉屋邸) を訪ねて、
由比ガ浜まで歩いてみよう。
津波がやってくる、
その前に。