本日は!
玉野の石工 松下与一 の話。
直島 北側の
牛ヶ首島(うしがくびじま) に
大きな 人面石 が横たわっている。
昭和49年の空中写真で確認すると・・・・
確かに 人面石 がある!
人面石 をよく見ると・・・・
頭は北を向き、
右手を枕にして、
顔を西に向けている
ということは、 涅槃像 なのである。
この 涅槃像 は
玉野の石工 松下与一 の作品。
昭和32年から昭和42年頃まで
たったひとりで、彫り続けたという。
正式には、
牛ヶ首聖園 日蓮上人涅槃石像 という。
そもそも、
大正元年から、
山陽新聞創始者 西尾吉太郎 らが
牛ヶ首島 を一大聖園にしようとした計画。
震災や戦争の影響で
工事は、一度ストップするが・・・・
昭和30年代に、
再び復活し 松下与一 の仕事につながる。
詳しい話は・・・・
で紹介されている。
古い話になるが・・・・
牛ヶ首島 は
高校時代、放課後のデートで
玉野の海岸からいつも眺めていた島である。
「〇〇ちゃん、
あの岩、顔みてえじゃが~」
「顔には見えん、
ただの岩じゃが~」
「岩じゃねえ、
ありゃあ、ぜって~顔じゃが~」 なんて。
そんな、 牛ヶ首島 は・・・・
大正時代には、多くの日蓮宗信徒が
島を訪れ、賑わったことだろう。
日蓮信徒ではないが
牛ヶ首島 日蓮上人涅槃石像仏 を、
いつの日か、
昭和の名船 「勝丸」 で
訪ねてみたいと思う。
そしてきっと、
こう言うだろう。
「ヒマコ!
あの岩、顔みてえじゃが~」 なんて。
玉野は連絡線時代から比べてずいぶんと変わりました。私自身、30年ぶりに玉野に帰ってきて愕然としました。人が歳を重ねる速度よりも風景が変わる速度が早いことは、残酷なものです。そういった意味で玉野は超刺激的ですよ。
その後の人面石のことは、コチラです。
<『謎の人面石』 調査報告>
http://sholly.blog.ocn.ne.jp/akaaokiiro/2012/06/post_45c3.html
夢か想像か頭の部分を何処からか見たような気が致しますが...
歳を重ねると遠い時を想い出しますこの頃です。
ゆっくり直島初め島々を尋ねてみたい気が致します。ありがとうございました。