限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第104回目)『私の語学学習(その38)』

2010-11-02 00:10:34 | 日記
前回から続く。。。

ギリシャ語とラテン語は、ひっくるめて西洋古典語(Classical Language)と呼ばれている。ギリシャ語は今でもギリシャおよびマケドニアで使われているが、ここでいうギリシャ語とは、紀元前5世紀ごろアテネを中心として使われていた古典語(アッティカ語)を指す。紀元前5世紀はギリシャの黄金期であり、劇では古代ギリシア三大悲劇詩人のソポクレス、アイスキュロス、エウリピデスが活躍していた。哲学ではプラトン、アリストテレス。歴史では、ヘロドトス、ツキディデースなど多士済々である。しかし、ギリシャ人の古典中の古典と言われているイリアス、オデッセーはそれよりも古く、紀元前8世紀にできたとも言われている。イエスキリストの言行録の新約聖書が古典ギリシャ語を少し簡略化したコイネーで書かれたことで近世に至るまで古典ギリシャ語の学習が綿々と続いてきた。

一方のラテン語もギリシャと同じく紀元前8世紀ごろから使われているが、文章語として完成したのが、紀元前2世紀ごろであり、先輩の古典ギリシャ語の影響を強く受けている。

古典ギリシャ語が紀元前8世紀から使われていて、紀元前5世紀に最盛期を迎えたという意味では中国の漢文と時代をほぼ斉しくしている。また言語学的に完成してから2000年近くも自国のみならず、周辺の文化圏でも学習されていたという意味においても、漢文の運命と平行的である。更に言えば、漢文の正しい理解なくして、日本および日本語が理解できないのと同様、これら2つの西洋古典語の理解なくして西洋ならびに、西欧語(英語、フランス語、ドイツ語)の理解はありえないと私は考えている。



このような重要な言語であるにも拘わらず、『私の語学学習(その23)』述べたように『ラテン語5年、ギリシャ語10年はかかる』との呪縛に囚われて私は、これら古典語の学ぶのにかなり躊躇していた。実は、この言葉に囚われる前に一度、大学初年度に無謀にも自力で『Latin -- Teach Yourself』という英語で書かれてラテン語入門書に取り組んだことがある。自力でというのは、当時工学部に所属していた私にとってはラテン語の授業を受けることができなかったからである。当時、まだラテン語が何者かも分からず、闇の中を手探りで進むように、数十ページは読んでみたものの、結局はそれ以上進むことができず、挫折してしまった。挫折の理由はいろいろあるが、一番大きくは、動詞の複雑な変化が当時の私にとっては、記憶容量を超えていて、頭が混乱したからだ。このトラウマのせいで『ラテン語はやはり自分には難しすぎる』と思い込んでしまった。

その後、『私の語学学習(その18)』で述べたようにドイツ語でプラトンを読み、プラトンの虜になった私は、できればプラトンの生の声を聞きたい、つまりオリジナルの古典ギリシャ語で読みたいと強く感じた。しかし、ラテン語より一層難しいと言われているギリシャ語は一生不可能だろうな、とあきらめていた。このように、ラテン語やギリシャ語に対しては、あたかも片思いの恋のように、憧れを懐きながらも、恋の告白もできず、相手を抱きしめられない、そのようなもどかしさを感じつつ、時は過ぎていった。そしていつしか、ラテン語にトライし挫折した経験から20数年が過ぎていた。あるとき何がきっかけかは思い出せないが、急に、『そうだ自分はラテン語やギリシャ語を学びたかったのだ』という記憶が甦ってきた。

その時(1998年)には、インターネットが既にかなり普及していて、検索エンジンを使えばいろいろな情報をたやすく得ることができるようになっていた。それで、早速『ラテン語の独習』をキーワードとしてWebを検索したところ、 20年前には、ほとんど直接、既習者に聞くしか方法がなかったような情報、つまり独習方法や経験談が豊富に入手できた。

数ヶ月そういった調査をしてから、ようやく独力でもできそうだと分かり、本格的にラテン語独習にとりかかったのが、1999年2月22日であった。幸運なことに、インターネットだけでなく、コンピュータの発達のおかげで、紙の辞書だけでなく、パソコン上の Off-line 辞書も入手できたお陰で、ラテン語の独習が可能な時代になっていたのだ。特にパソコンのラテン語の辞書(William Whitaker のラテン語辞書)には当時からお世話になっている。ラテン語を独習したい方にはお勧めのソフトだ。

さて、以前のパソコン上の辞書がない時代のラテン語・ギリシャ語の独習の際に必ず躓くのが、文中にでてくる単語を(紙の)辞書で調べられない、あるいは、調べるのに時間がかかることであった。その理由はは、文中に出てくるのが変化形であり、辞書は原形で引かないといけないからだ。例えば、日本語でいうと、『KITA, 来た』という形では辞書に載っていない。必ず『KURU, 来る』という形で辞書を引かないといけない。我々日本人には、このことは当たり前でも、日本語を学び始めた外国人にとっては難関であろう。つまり不規則変化の動詞を辞書で調べようとすると、既習者の知識を借りないといけないのだが、独習者にはそれができない。そうすると文法書をひっくりかえして調べないといけないが時間がかかる。そして再三、このような状況に遭遇すると学習意欲が萎えてくるのがラテン語およびギリシャ語などの古典語の Death Valley(死の谷)であったのだ。

上に紹介したパソコンのラテン語辞書は、この窮地の私を救ってくれた。文章中に現れる変化形を入力すると、たちまち原形だけでなく、単語の意味や変化形の性、格、モードなどの補足情報もついでに全て表示してくれる。(ギリシャ語にもこれに該当するソフトの辞書は後日紹介する。)

このようにして私のラテン語の独習がスタートしたのであった。

続く。。。
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