私が学生の頃(昭和50年代の初め)はまだ学生運動が盛んであった。全共闘といわれる団体が、学内に『事務所』を占拠し、ご苦労にも毎日『立て看』(看板)の作成に余念がなかった。それだけに止まらず、朝早くからスピーカーで学生に現体制の打倒を呼びかけていた。授業妨害は日常茶飯事であったし、その上、学期末には学生集会と称して、試験実施を阻止するためのストライキを決定し、即時に実行していた。
そういう環境もあって学生運動が目指しているものが何なのか、また彼らが実現しようとしている社会主義、共産主義とは何かを自分なりに理解したいと思った。
ある時、吉田神社の節分祭(2月3日)の夕方に食事を終えて、下宿に戻る途中、京大の正門の近くにあったナカニシヤ書店に立ち寄った。そこで、レーニンの『国家と革命』という岩波文庫が目に留まった。上のような問題意識を持っていた私はその薄い本を買って、下宿に戻って早速読み出した。
この本の主題はフランス革命当時、パリコミューンにおいて原始的な共産主義が実際に行われたことであった。その根本思想は、人は皆平等であり、権力は独り占めにすべきでない、という点であった、と私は理解した。この本には、私が久しく求めていた共産主義の本質が明快に指摘されていた。夜を徹して読み、巻を閉じた時は、東山に薄もやのかかる時刻になっていた。
レーニンが1917年にロシア革命を成功させてから、1989年のソビエト連邦の解体まで約70年間、ソビエト連邦を初めとして東ヨーロッパでは共産主義・社会主義が現実に運用された。ロシア革命が成功した当初、ヨーロッパの知識人に熱狂的に支持された。例えばアンドレ・ジッドやバーナード・ショーなどは、実際にソビエト連邦に赴き、社会の実態を実際に見て、絶賛した。しかし年とともに、社会主義の社会の実態が理想とは程遠いものになっていくに従って、知識人たちに失望が広がり、それに比例して批判も鋭くなっていった。そして、1990年代の社会主義の崩壊の時、社会主義は壮大な社会実験といわれた。つまり、社会主義は最終的には実験以外の何ものではなかったとの評価が下されたのだ。
しかし、冷静に考えてみると、過去の歴史はいわば、人間の本性をチェックするための実験結果のレポートの集成のようなものと言える。物理や化学では実験室で実験できるが、人間性、それも集団行動をチェックするには残念ながら、失敗も含めて社会全体で実験するしか方法がないのである。
中国もその意味では、壮大な社会実験を4000年にもわたって実施してきたと私には思える。具体的に言うと、儒教では(特に論語では)『仁』の重要さが強調される。つまり、人は仁を体現して初めて君子と呼ばれるに相応しい教養人となるという。しかし、中国の歴史を読めば、儒教が重要視する『仁』というものが、社会正義という観点からみれば、如何に無力かということが、数多くの実例で証拠立てられている。
中国の歴史が証明したのは、何も仁の無力さだけでなく、儒教の根本経典である、孟子の主張も実態の伴わない上滑りの言葉であったことが分かる。例えば孟子に『菽粟如水火,而民焉有不仁者乎?』(菽粟をして水火の如くならしめば、民、いずくんぞ不仁なる者あらんや?)という言葉がある。つまり、食料がただ同然になれば、もはや食料を争うことがないので、人は皆他人に対して『仁』(おもいやり)を持つはずだ、というのである。しかし、飢餓が全く問題にならないこの日本の状況を考えてみれば明らかに、この孟子の言葉は真理からは遥かに遠い。結局、人間はたとえ経済的に豊かになったとしても仁、不仁というような道徳律は別の規準だということが分かったに過ぎない。
そもそも何故、レーニンが唱えた共産主義が成功しなかったか、という根源的な問題を考えてみると、それは、資産の平等化という経済的観点ではなく、個人の権力志向、他人への優越感、エゴ、妬みなど、理性ではなく情念が社会制度とは無関係にいつも社会を混乱に陥れる原因となっていることがわかった。社会主義の70年にわたる実運用は何十億人もの人間を巻き込んだ壮大な社会実験であり、結果的にこの人間の卑しい情念がある限り、社会は本質的に変わらないことが分かったに過ぎない。しかし一面では、困ったことにこの情念こそが人を駆り立て、社会を経済的に発展させる原動力でもあるのも事実だ。
(続く。。。)