限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【2010年授業】『ベンチャー魂の系譜(4)-- Part2』

2010-11-01 07:16:20 | 日記
【ベンチャー魂の系譜 3.自由、それはベンチャー魂の源泉(Livius、ローマ建国史、ヨセフス)】

モデレーター:セネカ3世(SA)
パネリスト 
パネリスト
 よしひろ (農・1)
 はせじゅん(経・4)
 よすなみん(文・1)
 ミッチー (総・1)
 A:聴衆

前回から続く。。。

【ヨセフス】

(SA):ヨセフスはどういう人だったのか?
はせじゅん:生まれたのは、紀元後37年。ローマが帝政になっているころ。ユダヤとロー
マが戦争になって、ユダヤの兵士にも関わらず、ローマに寝返る。また、ローマでは、かな
りいい地位に就く。一連の戦争を経験して、ユダヤ戦記を書いた。
(SA):ユダヤ戦記以外は、書かなかったのか?
よしひろ:大きなもので言うと、ユダヤ古代史。天地創造から、ユダヤ人の歴史が書いてあ
る。
(SA):旧約聖書とユダヤ古代史はどう違うか?
よしひろ:ユダヤ古代史には、イエスが来た同時代のころの記述が書かれており、そういう
意味で、キリスト教徒からも広く読まれた。
(SA):広く読まれるために書いたというが、彼は何語でそれを書いたか?
よしひろ:もともとはアラム語であったが、ギリシャ語に改めた。
(SA):ギリシャ語で書いたら、どうして読まれるか?いまは、帝政ローマの話をしている
のに、どうしてギリシャ語なのか?
A:当時、ギリシャとローマだったら、ローマのほうが力は強かったと思うが、ギリシャは、
ヨーロッパの文明の起源であるし、ローマの人々はそこに憧れがあったと思うから。また、
ギリシャ語を喋れることは、教養人のステータスであったから。
よしひろ:ユダヤ人とローマ人から、裏切り者と呼ばれていた。そういうことを考えると、
本の内容は、ユダヤ人の誇りを持った上で書かれている。ローマで暮らしてそこで書いても
の。ユダヤ戦記は、ローマ人に都合のいいように使われた。
(SA):ユダヤ戦記がローマ人に都合のいいように使われたとは具体的には何をさすのか?
よしひろ:ユダヤ戦記を、ローマ人に好意的に書くのではなく、ローマ人がユダヤ人を攻撃した
ことに対して純粋にユダヤの立場から自分達の正当性を主張するために書きたいと思った。
その為には、ラテン語ではなく、ギリシャ語で書いたのではないか。
(SA):ギリシャ語で書くとローマ人は読めないだろうということか?
よしひろ:読めないということではなく、公正な立場で書くということ。
(SA):公正な立場であったら、ラテン語で書いても問題はないのではないか?なぜ彼がギリ
シャ語で書いたか疑問に思わないか?そもそも、当時、ローマでは、書き言葉としては何が
使われていて、話し言葉としては、何が使われていたか?
ミッチー:いろんな民族がいて、共通語として、ラテン語が使われていた。民族ごとに、自
分達の言葉があった。その上で、「ユダヤ戦記」を書いたときに、ギリシャ語を話した。
(SA):なぜギリシャ語を使ったのか?攻めてきたのは、ローマ人ではなかったか?
よしなみん:ローマ人がイスラエルに攻めてきた時は、ローマ人は、ラテン語をしゃべって
いた。ラテン語で書いてしまうと、ローマ人のサイドに立った意見とみなされてしまう恐れを
感じたのではないか。
(SA):問題はおそらく感情の問題ではない。どの言語が一番ポピュラーであったかということと、
彼がどこの生まれであるのかが重要。ローマ人が侵攻し、駐屯した西欧は、ラテン語が共通語にな
った。しかし、地中海東部の人は、古代から続く、ギリシャの文明に誇りを持っていたので、
ラテン語を話さなかった。また、その地域では、国際人になる為には、ギリシャ語を学ばな
ければならなかった。ヨセフスは、幼小時代から、コイネー、つまり共通ギリシャ語を学べる
環境に育った。また、ローマ人の上流階級は、ほとんどラテン語とギリシャ語のバイリンガルであ
った。従ってラテン語で書くよりも、ギリシャ語のほうが、地中海全域では通用した。



【自由の定義とは】

(SA):さて、自由の定義とはなにか?
よしなみん:他人に干渉されずに、自分の意志や願望に従って、行動を起こすこと。また、
他人に迷惑になることは、それは自由ではなく、わがまま。
はせじゅん:本も読む前は、好き勝手していいことだと思っていた。しかし、本を読んでみ
ると、権利だと思う。もともと、権利と言う意味で、自由が使われていたみたい。何かを成
し遂げることができること。ablity(私は~ができる)ということが自由の定義。
よしひろ:個人的には、自分がやりたいことができれば、それは自由と呼ぶと思う。
(SA):それでは、人殺したければ、人を殺してもいいのか?
よしひろ:それは、自分のやりたいことでなければやってもいい。
(SA):人殺しが趣味だったら、それは自由なのか?
よしひろ:規制とかによって、やってはいけなかったら、それは自由とは呼ばないと思う。
(SA):それでは自由というのは規制に依存するのか?
よしひろ:それは自由ではないと思う。
(SA):それでは、人殺ししたいときにするのが、自由というのか?
よしひろ:それが本当にやりたいことならばやればいい。やりたいと思っていることが、必
ずしも本当にやりたいこととは限らないと思う。そういう意味では、実際に、人殺しをすると
いうのは自由ではないかも。
(SA):モンテスキューの『法の精神』では、法とは何であるかを歴史的に説明している。これ
によると、自由とは、「法にないことを強制させられないこと」。
また、ギリシャでは、自由という単語を二つ作っていた。
まず一つ目は、liberty freedom ギリシャ語でいうと、eleutheria (エレテーリア)。
(SA):さて、英語の liberty と freedom の違いは?
A:libertyは制約されない。Freedomは、自分自身がやりたいことをやる。
はせじゅん:freeはわがまま。
ミッチー:freedomは権利。
(SA):実はこの2つは全く同じ意味。日本語で言うと、漢語と大和言葉の違いと同じ。もともと
の意味は『体が自由であること。奴隷でないこと』
自分の体を、自分がしたいように使えないのが、奴隷の身分。「起業家の本質」で、なぜ
libertyという言葉がたくさん出てくるかというと、ある会社に勤めていると、自分が望まない
方針であっても、それに従わなければならない。自分の会社を作ったら、少なくとも自分の思い
通りにできる。そういう意味で、自分のやりたいようにやるには、起業するべきと説いている。
従って、起業家の本質は、自由を求める心であると、筆者は主張するのである。
ギリシャ語の eleutheria (エレテーリア)が体の自由であるが、言論の自由という意味で、
parrhesia(パルレーシア)というものがある。pan(すべて)+ rhesia(話す)。
なぜこの二つの単語をギリシャ人が作ったかというと、「自分の思うことは、何でもしゃべ
っていい」という言論の自由を表すときに、この parrhesia という語句を使う。日本では、
言論の自由というと、あたかもそれが自由という概念の一ブランチ、枝葉として捉えられているが、
ギリシャでは、体の自由とともに、言論の自由というものが、大きな塊としてあった。しか
し、ラテン語では、これに該当する単語はない。ギリシャ人だけが、この二つの言葉を別々に有
する。つまり当時、ギリシャでは、身分に関係なく、自分が正しいと思ったことを言う、
言論の自由があった。また、特に、自分の意見によって、民衆を動かすというのが、アテネ
の民主制の基本になっている。意見を自由に言えない、現在の日本には民主制もなければ、
本当の意味での自由も存在しない。これは、日本の過去の文化的な背景が大きな慣性力として
作用しているのだ。
 (参照ブログ:想溢筆翔:(第45回目)『日本に民主主義はない』

【印象に残ったエピソード】

(SA):私の授業のポイントは人。どのようなモチベーションによって動いたか。その人の
もつパッションである。その人の行動原理を理解するには、分析的に理解するより、総合的
にしることの方が意義深い。その端的な方法は、その人の逸話を知ることにある。
よしひろ:ヨセフスのことで、いままでこのような歴史書は書かれてきたが、欲望とか権力
とかいろいろあるが、世間の人々があまりにも無知だから、自分こそが知らしめたいという
思いがあったと書いてあった。自分こそが、ユダヤ戦争を直接に体験していて、それを正し
く書く能力のある人間だという自負と、使命感があって書いた。
(SA):彼が使命感をもって書いたというのは、正しいと思う。これ本なしには、当時のユダヤ
人のことは、わからない。つまり、紀元後70年に、エレサレムがローマ人によって破壊されて
以降、ユダヤ人は世界各地に散っていってしまった。その意味では、誰かが歴史を書いて残さ
ないと当時のユダヤ人の歴史は残っていなかったと思われる。
はせじゅん:ヨセフスの書いた動機が、自分の選択したことの正しさの証明のために書いた。
ローマ人に、追い詰められたときに、まわりの仲間からは、自殺をしろと言われたが、ヨセ
フスは自殺をせずに、ローマ側についた。自分の命を無駄にすることは、それこそが神に対
する冒涜だと言った。その正しさを証明するためにこの本を書いた。僕が日ごろ感じている
ことと強く結びついていて、どっちが正しいということは、あんまり意味がない。そのよう
なことよりも、全体がどうであり、自分がどうあるべきということを貫くことが大事。

(SA):マイケルサンデルのことで。そこでのテーマは、○○と××で、どっちが大切かと
いうことを聞く。明らかに、そういった類の問題は解決できないのはわかりきった話。
それは本質的に複数のベクトルをどう評価するか、という問題に帰着する。例えば、力の強
い人を探したい場合に、握力が測れないとする。身長と体重だけで測った二人の人がいて、
一人は身長180cm、体重70kg。他の一人は身長170cm,体重90kg。この場合どちらの人が体力が
あると考えるか?身長が高い人か、体重が重い人か?
よしなみん:私は、170cmの人。身長と体重のバランスが、なんとなく大きいから。
(SA):これは二次元のベクトル値。直接的には測れない。絶対値を測るか、ある軸に投射影
してスカラー値を比べる。軸を任意の場所に移動することで、大小の評価が変わる。本来的に
比べようがないものは、自分の軸の設定によって、いろいろ操作できる。
例えば、その軸の設定は、イスラム人から見た9.11の姿であったり、アメリカ人から見た9.11で
あったりする。もともと起こったことは、その軸の中のベクトル値として存在する。それを
現在、スカラー値として、一次元の中で大きさを比べているので、答えが出ないのは当り前である。
数学でこのような話は初歩の初歩であるが、これが一旦、実際の問題になると分からなくなる
人が多い。これは数学的思考が本当の意味で身についていないからだ。

よしなみん:リヴィウスのローマ建国史で書いているエピソードのことで。私の中での歴史
書のイメージは、~年に~があってという形であったが、リヴィウスは、実務的な話を中心
に書いていた。
(SA):普通授業での歴史は年表しか教えない。その意味で、こういった暗記もの中心の高校の
歴史の授業というのは、果実の絞りカスみたいなもの。本物の歴史というのはたっぷりと美味し
い果汁のつまったジュースのようなもの。このリヴィウスの歴史がその一つ。
ミッチ―:リヴィウスの一巻目に、ローマの建国神話から、王政までの歴史が書かれている。
二巻の最初のほうに、穏やかな支配が共同体を育み、自由のよき成果がすでに成熟したかのよう
になったと書いてある。しっかりした王たちが、ローマの礎を築いて、共同体の礎を築いた。
王による支配に対する違和感というのを民衆が持ったときに、自由という概念が生まれた。
(SA):もともと自由という権利があると思っていたものが、侵害されたから、王政を倒そ
うと思ったのではないか? もともと彼らは、王政とか共和政とか政体を議論する以前に、自由
という概念を持っていた。当初は国を治めるのに、王政が適切に機能していた。そして市民の
権利も、自由も、侵害されなかった。しかし、王政の最後になると、それらが侵害され、我慢
の限度がブチ切れた。
ミッチー:ブルータスは、広場で豪快な演説をしたらしい。
(SA):一つ気をつけないといけないのは、リヴィウスの歴史の中で、演説のかなりの部分が、
いわばリヴィウスが『この人だったらこういう言い方をするだろう』というフィクション的な
記述が入っているということ。
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