革共同の現状について心から思うこと
長島由紀夫
私は現在、党から離れてずいぶん長い時間の経過した一勤労老人にすぎません。しかし昨今伝え聞くところとなった革共同の現状、とくにこのサイト『試練――現在史研究のために――日本の新左翼運動をどう総括するのか』に投稿されている元政治局員・水谷保孝氏の記事で明らかにされた党中央指導部の腐敗と堕落ぶりは、それらがもし事実とするなら、とうてい看過することが出来ないものだと感じました。私自身は不本意な形で党を離れましたが、きわめて長い年月を党員としての活動に費やし、革命的共産主義運動に人生の大半をかけてきた者の一人として、何らかの形で社会的に意見を表明する責任があると痛感するに至りました。「社会的に」という意味は、この問題がもはや一党派の単なる党内問題の次元を超えているようにしか見えないということです。
ちなみに上記記事の執筆者である水谷氏が党を離れた経緯や立場、その後の政治主張について私も存じています。大変失礼ながら私自身はこれらに共感しているわけではありません。その前提の上でではありますが、サイト運営者からこの意見表明の場をお借りできたことに深く感謝する次第です。
結論から言います。革共同は可能な限り早い時期に党大会を招集し、60年にもおよぶ革命的共産主義運動(以下「革共運動」)の完全な破産を認め、解党を決断すること。これが世の全ての人びとに対する革共同、とりわけ指導部のただ一つの責任ある態度だと思います。結党以来の党の東西分裂(07年11月)という事態をあえて強行してまで守り抜いた「労働運動路線」と「動労千葉特化路線」の中心中の中心、その実体をなす動労千葉という戦闘的労働組合そのものに対して、党の中央政治局トップが、その内部の主導権争いの故についに敵対するに至ったというのです。
これが革共運動が60年という歳月を重ねた結果として到達した地点なのか。やはりそういうことか、という思いです。最終的な破産という以外に表現する言葉が見つからないです。昨日今日生まれた党ではないのだ。60年という気の遠くなるような歳月がどれほど重いか、すべての党員と党経験者にはわかると思います。この破産。「完全な」という形容をつけるに十分値するものと言わざるを得ないです。「党勢の極限的な収縮」という現実について、何が問題なのかという論議がわずかながら行われたのはずいぶん昔のことですが、「やはり」というのはそういう意味です。
しかも、その中央政治局の中央派の当事者のひとり、党の労働戦線全体の最高指導者ともいうべき辻川慎一氏について、社会的制裁を受けてもおかしくない次元の女性差別事件が漏れ伝わってきています。妻とは別に愛人をつくり、もてあそんだ末に放り出していたとのことです。そしてあろうことか、その事実を政治局の表のトップたる天田三紀夫書記長をはじめ政治局員全員が知っていながら、辻川を政治局員に引き上げるためにこれを黙殺・容認していたらしいのです。この事実はついに全党に知られるに至り、厳しく告発されているとのことです。
さらに驚いたことは、この問題の当事者たる政治局員・辻川氏本人は、「自己批判」を途中で投げ出し、さっさと脱党・逃亡してしまったとされています。さすがに目を疑う事態です。このような無責任きわまる人物であること、しかも犯罪的なレベルの女性差別事件の当事者であることを知りながら、革共同政治局は、この辻川氏を党の最高指導部に指名し、動労千葉そのものまでも含む労働運動全体を「指導」させようとしてきたというのです。
本当にこれらが事実だとするなら、この驚愕に値するとしか言いようのない事態は、党組織内部での“自己批判と謝罪”のようなもので済まして良いはずはないでしょう? 革共同という「革命の党」は、言うまでもなく無数の党員同志の自らを犠牲にした献身と、膨大な党外の労働者学生市民の支援によって支えられ、築き上げてきたものです。これほどの腐敗・堕落ぶりが暴かれてなお、対外的には何事もなかったかのように再び「○○決戦」を呼号し、「空前の大カンパ」を要求するなどということは、革命家としての矜持と良心のかけらでも持っているなら考えられないでしょう。
革命的共産主義の党は私的な営利団体とはわけが違います。「真に人間的な共同社会(本物の共産主義社会)を目指す」(革共同50年史『現代革命への挑戦』上巻、2013年)と天下に宣言してきた革命党ではありませんか。その中枢に60年もの年月、膨大な党員同志の情熱と世の人々の支援を注ぎ込んで築き上げた党の最高指導部なのです。これがここまで腐り果ててしまったという現実を見据えるなら、党の歴史そのものの最終的な破産を、党内はもとより対外的にも潔く認める以外にないではありませんか。
プロレタリア革命とは労働者人民自身の事業なのだと革共同は強調してきました。そして社会主義革命の本質として、平和裏な権力移行はあり得ないという立場です。「旧来の国家機構を徹底的に破壊し、解体しつくす」(同上)、すなわち国の行政機構、とりわけ警察や自衛隊といった巨大な武装組織を破壊・解体するという、とてつもないことを本気で考えてきた組織なのです。その上にプロレタリア独裁の権力を樹立するのだと。これが革共同中核派の綱領的立場と党派性の核だと宣言してきました。
革共同が圧倒的に依拠してきたレーニンの表現を借りれば、それは「直接に暴力に立脚し、どんな法律にも拘束されない権力(暴力)」ということになります。この権力の行使が当時のロシアで億単位の人々の運命を文字通り直接左右することになった経緯の詳細は、1991年ソ連崩壊後の情報開示を通してかなりの程度まで明るみに出ています。
なぜこのようなことを書くかと言えば、党中央政治局とは、多大な流血をも伴う内戦とプロレタリア独裁権力を指導する実体だからです。理論上どれほどソヴィエトという全員参加の大衆機関に「すべての権力」が与えられていようと、国家権力を握ったその瞬間から、実際の権力(暴力)を行使する中心的実体とならざるを得ない組織です。現在の党組織ですら、党内権力の大きさは容易に実感できるでしょうし、敵対党派との殺し殺される戦争行為を長年経験してきた党員ならその深刻さは実感としてわかるはずです。
ロシア10月革命の直後にボルシェビキ党の食料徴発に抵抗する農民たちが反乱を開始した時、「自分の名前を言うのを拒否した市民は裁判にかけずにその場で射殺すること」というレーニンの命令(1921年6月)が政治局の承認を得て発令され実行されましたが、「反革命との戦い」の名の下にこうした次元の「赤色テロル」をも無限に正当化しなければならないのが革命というものです。革命とはそれを望まない人々も含めて膨大な人々の命を左右する問題である以上、やり直しが効かないのです。
言いたいことは、こうした権力を采配し行使する中央政治局の腐敗という問題の責任の範囲は、およそ党の内部では済まないということなのです。ことの深刻さを少しでも自覚しているなら、組織の防衛・維持を絶対ラインとして「自己批判」「反省」「謝罪」を云々すること自体が、無責任の極みなのだということです。革命は党の独占物ではないのだ。だから解党する以外に総括の糸口に入ることが出来ないと言っているのです。世のすべての人々に対する責任の取り方が問われているのではありませんか? 私は心底そのようにしか思えないのです。
総括するとは、自らの責任を問うとは、革命党として世に名乗りを上げてきた60年間の根本を一から疑うことも当然含みます。古今東西の幾多の歴史が証明していますが、政治組織は政治組織として維持されている限り、自らの寄ってたつ足下、思想的な基盤そのものまで疑うことは不可能です。これは革共同が「スターリン主義」と規定してきた旧ソ連やルーマニアなど東欧諸国の共産党組織に限らず、すべての政治党派について言えることです。旧来の組織の維持を絶対防衛ラインとし、その聖域の枠の外で処理することはとうてい不可能な次元の問題に突入してしまったのです。このことをもはや認める以外にないではありませんか。
根本を問うといっても、解党などとは無責任だという疑問が直ちに湧きおこるでしょう。当然です。責任は全うしなければならないでしょう。だから解党なのであって解散ではないのだ。
解党後の中央指導部と全党員が負っている絶対の責務は、各自が自らの立場と責任において自らの余生をかけて総括しそれを公表することなのです。当然、この責任は私のように党外に去った数多くの人間たちにも及んでいます。総括という作業そのものも時間を要する問題だとも思います。しかしこれをやり抜く以外に出口はありません。
解党の決断はとてつもない無念の想いを伴うでしょう。しかしながら、もしこの組織と運動に参加してきたあまたの一騎当千の人々が総力をあげて、すべての聖域や前提を取り払って、本気で一大総括運動に転じるなら、日本の政治運動全体という次元でも、今度こそ世のすべての人々に対するきわめて大きな貢献をなすことは疑いないと思うのです。
また、かつて社会主義と人間解放の理想を目指してほうはいと巻き起こった日本の新左翼運動に直接・間接にかかわった膨大な人々、彼ら彼女らに対しても、もちろん自分たち自身に対しても、きわめて豊かな総括のヒントを提供できるのではないでしょうか。
「真の人間的な共同社会=共産主義社会建設の諸条件は、すでに圧倒的に成熟している」(同上=2013年)とまで宣言するほどの切迫した時代認識を語る一方で、前述した「党勢の極限的な収縮」というもはや誰ひとり否定できない現実があります。その間に何があるのか? この党中央の腐敗・堕落・停滞した現状はいったい何を意味しているのか?
“聖域なき総括”を行う以外にないのです。この苦しくも膨大な作業をやりぬく力のある人間が党内外にあまた存在することだけは、筆者の短くはない党生活の経験からいって間違いないと確信できます。総括の結果、何が生まれるかはまだわかりません。しかし「真に人間的な共同社会をめざす本物の共産主義」の思想と運動が、まったく新たな形で生まれ変わることもあるかもしれない。ただ、ひとつだけ確かなことは、本物の根底的な総括を抜きに、歴史への貢献という次元ではもはや現状の革共同はゼロ以下になってしまったのだということを知るべきだと言っているのです。それが今回明らかにされた党政治局の腐敗・堕落という事態の核心問題なのだと私は本当に思います。
各現場での責任の取り方は様々でしょう。これまで関わってきた運動や党外の組織、現在進行中の闘いの責任の残る各戦線・各地域の運動、もちろん獄中にいる同志の方々への支援継続も含めて、党内からそれぞれの自主連帯委員会のような運動の核となる人々を募り、当該の意志に沿った形でボランティアによる支援の方向を探ることも十分に可能でしょう。それこそ献身的で有能な人材はいくらでもいるではありませんか。そして現場での運動経験の蓄積たるや60年にも及ぶわけです。この腐り果てた中央政治局の現状を知るにおよんで、なおかつ「革共同」の看板をそのまま掲げ続けなければ維持できない運動などひとつもないはずです。
具体的に考えだすと、ただちに浮上する実際的な問題は生活面をどうするか(?)でしょう。世間並みに高齢化もすすんでいることは筆者自身を顧みるまでもないことです。それでも身体と精神の健康を維持し生きていかなければならいし、そうでなければ総括自体もままならないわけです。どうするか。各自がその能力に応じて働き、可能な社会貢献の道を模索しつつ、組織そのものは自由参加の生活互助組織として再建するという道も様々な形態で可能でしょう。当然、そのような新たな生活互助組織の運営をなすとすれば、全員参加の大会で承認された規約と人事に基づくものとなるでしょうが、そうなれば、知恵には事か欠かない人々が大勢いることだけは間違いないでしょう。
そして、ここで最大の問題は党の財産の扱いと処分方法でしょう。それこそ大会の決定に従う以外にありえないでしょう。一番大切なことは、当然ながら公明正大であることでしょう。党の財産は無数の労働者・市民のかけがえのない拠出によって成り立ってきたし、今現在もそうなのだということを忘れてはならないでしょう。現状の党財政がどのようになっているかは知るよしもありませんが、筆者が覚えている限りでも、かつて多いときで年間で〇を超える規模の予算を政治局が一手に扱ってきたのです。ことここに至って、党財政のバランスシートの詳細については一円に至るまで、党員はもとより、党に長年多大な献金を行い財政を支えてきたすべての人々に知る権利があるだろうと思います。ゆめゆめルーマニア共産党の元党首チャウシェスクのような資産横領を許してはならないということです。
最後に、私自身が党を離れてから、日々の労働と生活に追われながら考え続けてきたつたない総括作業の一端をごく簡単に述べておきます。
私たち(とあえて言います)革共同が考えてきたプロレタリア社会主義革命の理論的骨格は、トロッキーのスターリン主義批判を出発点としつつ、その圧倒的な部分がレーニンの著作に依拠したものです。レーニン死後のソ連の歴史が社会主義の理想とはおよそかけ離れた途方もない地獄を生み出したことはいまや全世界の人々が知るところですが、革共同はこれを「スターリン主義によって裏切られた革命」と規定し、「反スターリン主義」すなわちレーニン主義の継承を綱領的立場の柱に据えてきたわけです。上に引用した『現代革命への挑戦』(2013年)の中でも現代の共産主義を根拠づけるものとして「レーニンは次のように言っている…」「レーニンの提起は…」「レーニンは…」という文句が至る所に出てきます。実は「レーニンはこう言った…」というフレーズを歴史上誰よりも好んだ人物は誰あろうスターリンその人とゴルバチョフに至る歴代のソ連共産党書記長なのですが、その点はここでは脇に置きます。
知っておきたい点は、革共同が依拠してきたレーニンの著作はすべて『レーニン全集・第四版』全45巻からのものであり、これらすべてがスターリン時代に編纂された文書に限られているという問題です。この問題は意外にも党内ではごく一部の私的会話を除いて深刻に論議されたことはありませんでした。スターリンの死から約30年後の1981年に出版が決定された「第六版」は約70巻(!)に及ぶことが予想された(日の目を見ることはなかった)そうですが、91年のソ連崩壊後、ソ連共産党の党文書保管所に厳重に秘匿保管されていたレーニン文書の多くが公開されるに至り、欧米を中心とするアカデミックな世界の歴史家たちがこぞってこの公開文書を研究したのです。
これによって、10月革命直後のレーニンの膨大な直筆文書とそこに現れた「社会主義建設」の実像がかなりの程度まで明らかになってきました。ここで詳細を語ることは不可能ですが、革共同が「スターリン主義の犯罪」として断罪してきた1924年以後のソ連共産党の歩みの相当な部分が、実はレーニンその人と太い線でつながっていたのではないかと疑ってかかるに足る事実が続々と明るみに出ています。
ここで言いたいことは、レーニン主義の党、反帝・反スターリン主義の党たる革共同の思想的土台を揺るがしかねないと思われるこの問題に、ソ連が崩壊した1991年から今日に至るまで約30年近くもの間、党として真剣に向き合った形跡が見られないことです。
けっしてレーニン教条主義が革命的共産主義ではないはずです。現代世界の現実と向き合って、レーニンをも乗り越えて、必要とあらば徹底批判していく立場にたってこそ、真の革命党ではないでしょうか。
そのことはもうひとつ、革共同独自の綱領的立場の土台を作り上げた「段階・過渡・変容・危機」の現代世界論にも大きくかかわります。これは60年安保闘争を前後して、現代を「世界資本主義の政治的危機――革命的危機」の時代と規定した岩田弘(宇野弘蔵門下出身の経済学者)による世界資本主義論に依拠し、これを批判的に摂取しつつ打ち立てた革共同による現状分析の精華でした。それは60年代後半から70年安保改訂に向かう日本と世界の政治情勢を「戦後世界の根底的動揺期」ととらえ、70年安保・沖縄決戦を日本革命そのものを一気にたぐり寄せる階級的主体を形成するものとして位置づけ、幾多の街頭武装闘争をやり抜く理論的根拠を打ち立てたものです。
当時、この理論は様々な勢力から万年危機論などと揶揄されたのですが、にもかかわらず、その後のドル・ショック(71年)から今日に至る資本主義世界の一連の「危機」を予見しえたという意味では、当時としては世界でもまれに見る見識を示したことは間違いないと今でも思います。
しかしあれから50年が経過し、冷厳な結果として革共同はその「見識」に縛られ、そこから一歩も前に出ることが出来なくなったのではないでしょうか。80年代だったと思いますが、私たちはこの理論の延長で「日米戦争不可避論」まで唱え、「帝国主義戦争を内乱に転化する」道筋を考え、来るべき武装蜂起の主体と陣形を作り上げるという位置づけで、ゲリラ戦を軸とする対権力武装闘争に邁進してきたのです。
そしてその危機の対極の展望は「ロシア革命以来の革命的過渡期が、ただ一点スターリン主義よって変質したことで資本主義が延命しているのだ」としました。やはり問題はスターリン主義に絞り込まれ、ロシア革命自身の残した課題、レーニン自身の問題性とは向き合わないまま、革命論が自律的に展開していったのです。
言いたいことは、この革共同の現在までの方向を決定づけた綱領的な時代認識が、50年後の今に至るまで「プロレタリア革命」が起こらなかった現実とまったく相容れないことです。相容れない証拠が「革命的激動期がはじまった」と言いつつ「党勢の極限的収縮」という矛盾した現実ではないですか。
90年代以降、私たちは「武装闘争」をやり抜くために必要な物質的基盤を維持できなくなったことを背景に「労働運動路線」に転換しました。労働組合を握ることで革命をやるという路線です。これにあわせて時代認識も「新自由主義論」を基調とするものに衣替えしました。「労働組合的団結の根絶を目指して運動することでかろうじて成り立っている」(『現代革命への挑戦』)のが新自由主義というものなので、労働組合を握ることそのものが革命なのだという大転換でした。
しかしあれからもう30年、革共同は70年代末に旧動労から分離独立した動労千葉を例外として、ただひとつの大単産の組合権力に近づくことさえ出来ていません。引用した『現代革命への挑戦』では、「4大産別」の組合権力を革共同が握れば、国家機構の技術的な高度化はレーニンの時代よりはるかに進んでいるので、特別の知識や技能がなくても、労働者なら誰でも国家の運営が出来ると書かれています。本当なら素晴らしい。しかしこの収縮した小さな党の運営さえ、政治局がままならず崩壊状態に陥っている現状を顧みれば、「国家権力奪取後」の構想をとうとうと語るさまは、まるで夢の中にでもいるようです。
話を戻します。革共同は「党勢の極限的収縮」にもかかわらず、一方でこのような夢を人々に向かって説きながら、まさにそのただ中で党の最高指導部が妻以外の愛人を囲うなどの女性差別行為に身をやつし、それがバレそうになると政治局全員がこれを黙殺し、党内からの批判も封じ込めようとしていたという顛末。まさに中央政治局の崩壊としか言いようがありません。それでもなお、いま現在も何事もなかったかのように「国鉄決戦に総決起せよ」とか「戦争と一体の差別政策を許さない」などと中央機関紙『前進』は号令をかけ続けています。いまだに世をあざむいて「無謬の党」を演じている、このことがさらに党の転落をすすめていると自覚できないのでしょうか。
私自身、慙愧に耐えないことでもありますが、やはり自分の拠って立つ思想的な土台を否定しかねないような問題に、政治党派が旧来の組織防衛にかじりついたまま向き合うことは不可能だったのだと言わざるを得ません。解党する。そして総括する。それを公表する。党内外すべての人々の批判や意見を仰ぐ。それ以外の責任の取りようがあるだろうか。ない。
本来ならこの種のことについて党外の人間があれこれ意見を述べるのは筋違いです。しかし繰り返しますが、ことは既に革共同に今も党籍を有している人間だけの問題ではなくなってしまったのだということを、この駄文を読んだ方々にどうかご理解頂ければと思う次第です。
以上が、水谷氏代表執筆の記事が明らかにした革共同の現状が事実であることを前提にした、私のさしあたっての個人的な意見です。
2019年8月1日
長島由紀夫(ながしま・ゆきお)
長島由紀夫
私は現在、党から離れてずいぶん長い時間の経過した一勤労老人にすぎません。しかし昨今伝え聞くところとなった革共同の現状、とくにこのサイト『試練――現在史研究のために――日本の新左翼運動をどう総括するのか』に投稿されている元政治局員・水谷保孝氏の記事で明らかにされた党中央指導部の腐敗と堕落ぶりは、それらがもし事実とするなら、とうてい看過することが出来ないものだと感じました。私自身は不本意な形で党を離れましたが、きわめて長い年月を党員としての活動に費やし、革命的共産主義運動に人生の大半をかけてきた者の一人として、何らかの形で社会的に意見を表明する責任があると痛感するに至りました。「社会的に」という意味は、この問題がもはや一党派の単なる党内問題の次元を超えているようにしか見えないということです。
ちなみに上記記事の執筆者である水谷氏が党を離れた経緯や立場、その後の政治主張について私も存じています。大変失礼ながら私自身はこれらに共感しているわけではありません。その前提の上でではありますが、サイト運営者からこの意見表明の場をお借りできたことに深く感謝する次第です。
結論から言います。革共同は可能な限り早い時期に党大会を招集し、60年にもおよぶ革命的共産主義運動(以下「革共運動」)の完全な破産を認め、解党を決断すること。これが世の全ての人びとに対する革共同、とりわけ指導部のただ一つの責任ある態度だと思います。結党以来の党の東西分裂(07年11月)という事態をあえて強行してまで守り抜いた「労働運動路線」と「動労千葉特化路線」の中心中の中心、その実体をなす動労千葉という戦闘的労働組合そのものに対して、党の中央政治局トップが、その内部の主導権争いの故についに敵対するに至ったというのです。
これが革共運動が60年という歳月を重ねた結果として到達した地点なのか。やはりそういうことか、という思いです。最終的な破産という以外に表現する言葉が見つからないです。昨日今日生まれた党ではないのだ。60年という気の遠くなるような歳月がどれほど重いか、すべての党員と党経験者にはわかると思います。この破産。「完全な」という形容をつけるに十分値するものと言わざるを得ないです。「党勢の極限的な収縮」という現実について、何が問題なのかという論議がわずかながら行われたのはずいぶん昔のことですが、「やはり」というのはそういう意味です。
しかも、その中央政治局の中央派の当事者のひとり、党の労働戦線全体の最高指導者ともいうべき辻川慎一氏について、社会的制裁を受けてもおかしくない次元の女性差別事件が漏れ伝わってきています。妻とは別に愛人をつくり、もてあそんだ末に放り出していたとのことです。そしてあろうことか、その事実を政治局の表のトップたる天田三紀夫書記長をはじめ政治局員全員が知っていながら、辻川を政治局員に引き上げるためにこれを黙殺・容認していたらしいのです。この事実はついに全党に知られるに至り、厳しく告発されているとのことです。
さらに驚いたことは、この問題の当事者たる政治局員・辻川氏本人は、「自己批判」を途中で投げ出し、さっさと脱党・逃亡してしまったとされています。さすがに目を疑う事態です。このような無責任きわまる人物であること、しかも犯罪的なレベルの女性差別事件の当事者であることを知りながら、革共同政治局は、この辻川氏を党の最高指導部に指名し、動労千葉そのものまでも含む労働運動全体を「指導」させようとしてきたというのです。
本当にこれらが事実だとするなら、この驚愕に値するとしか言いようのない事態は、党組織内部での“自己批判と謝罪”のようなもので済まして良いはずはないでしょう? 革共同という「革命の党」は、言うまでもなく無数の党員同志の自らを犠牲にした献身と、膨大な党外の労働者学生市民の支援によって支えられ、築き上げてきたものです。これほどの腐敗・堕落ぶりが暴かれてなお、対外的には何事もなかったかのように再び「○○決戦」を呼号し、「空前の大カンパ」を要求するなどということは、革命家としての矜持と良心のかけらでも持っているなら考えられないでしょう。
革命的共産主義の党は私的な営利団体とはわけが違います。「真に人間的な共同社会(本物の共産主義社会)を目指す」(革共同50年史『現代革命への挑戦』上巻、2013年)と天下に宣言してきた革命党ではありませんか。その中枢に60年もの年月、膨大な党員同志の情熱と世の人々の支援を注ぎ込んで築き上げた党の最高指導部なのです。これがここまで腐り果ててしまったという現実を見据えるなら、党の歴史そのものの最終的な破産を、党内はもとより対外的にも潔く認める以外にないではありませんか。
プロレタリア革命とは労働者人民自身の事業なのだと革共同は強調してきました。そして社会主義革命の本質として、平和裏な権力移行はあり得ないという立場です。「旧来の国家機構を徹底的に破壊し、解体しつくす」(同上)、すなわち国の行政機構、とりわけ警察や自衛隊といった巨大な武装組織を破壊・解体するという、とてつもないことを本気で考えてきた組織なのです。その上にプロレタリア独裁の権力を樹立するのだと。これが革共同中核派の綱領的立場と党派性の核だと宣言してきました。
革共同が圧倒的に依拠してきたレーニンの表現を借りれば、それは「直接に暴力に立脚し、どんな法律にも拘束されない権力(暴力)」ということになります。この権力の行使が当時のロシアで億単位の人々の運命を文字通り直接左右することになった経緯の詳細は、1991年ソ連崩壊後の情報開示を通してかなりの程度まで明るみに出ています。
なぜこのようなことを書くかと言えば、党中央政治局とは、多大な流血をも伴う内戦とプロレタリア独裁権力を指導する実体だからです。理論上どれほどソヴィエトという全員参加の大衆機関に「すべての権力」が与えられていようと、国家権力を握ったその瞬間から、実際の権力(暴力)を行使する中心的実体とならざるを得ない組織です。現在の党組織ですら、党内権力の大きさは容易に実感できるでしょうし、敵対党派との殺し殺される戦争行為を長年経験してきた党員ならその深刻さは実感としてわかるはずです。
ロシア10月革命の直後にボルシェビキ党の食料徴発に抵抗する農民たちが反乱を開始した時、「自分の名前を言うのを拒否した市民は裁判にかけずにその場で射殺すること」というレーニンの命令(1921年6月)が政治局の承認を得て発令され実行されましたが、「反革命との戦い」の名の下にこうした次元の「赤色テロル」をも無限に正当化しなければならないのが革命というものです。革命とはそれを望まない人々も含めて膨大な人々の命を左右する問題である以上、やり直しが効かないのです。
言いたいことは、こうした権力を采配し行使する中央政治局の腐敗という問題の責任の範囲は、およそ党の内部では済まないということなのです。ことの深刻さを少しでも自覚しているなら、組織の防衛・維持を絶対ラインとして「自己批判」「反省」「謝罪」を云々すること自体が、無責任の極みなのだということです。革命は党の独占物ではないのだ。だから解党する以外に総括の糸口に入ることが出来ないと言っているのです。世のすべての人々に対する責任の取り方が問われているのではありませんか? 私は心底そのようにしか思えないのです。
総括するとは、自らの責任を問うとは、革命党として世に名乗りを上げてきた60年間の根本を一から疑うことも当然含みます。古今東西の幾多の歴史が証明していますが、政治組織は政治組織として維持されている限り、自らの寄ってたつ足下、思想的な基盤そのものまで疑うことは不可能です。これは革共同が「スターリン主義」と規定してきた旧ソ連やルーマニアなど東欧諸国の共産党組織に限らず、すべての政治党派について言えることです。旧来の組織の維持を絶対防衛ラインとし、その聖域の枠の外で処理することはとうてい不可能な次元の問題に突入してしまったのです。このことをもはや認める以外にないではありませんか。
根本を問うといっても、解党などとは無責任だという疑問が直ちに湧きおこるでしょう。当然です。責任は全うしなければならないでしょう。だから解党なのであって解散ではないのだ。
解党後の中央指導部と全党員が負っている絶対の責務は、各自が自らの立場と責任において自らの余生をかけて総括しそれを公表することなのです。当然、この責任は私のように党外に去った数多くの人間たちにも及んでいます。総括という作業そのものも時間を要する問題だとも思います。しかしこれをやり抜く以外に出口はありません。
解党の決断はとてつもない無念の想いを伴うでしょう。しかしながら、もしこの組織と運動に参加してきたあまたの一騎当千の人々が総力をあげて、すべての聖域や前提を取り払って、本気で一大総括運動に転じるなら、日本の政治運動全体という次元でも、今度こそ世のすべての人々に対するきわめて大きな貢献をなすことは疑いないと思うのです。
また、かつて社会主義と人間解放の理想を目指してほうはいと巻き起こった日本の新左翼運動に直接・間接にかかわった膨大な人々、彼ら彼女らに対しても、もちろん自分たち自身に対しても、きわめて豊かな総括のヒントを提供できるのではないでしょうか。
「真の人間的な共同社会=共産主義社会建設の諸条件は、すでに圧倒的に成熟している」(同上=2013年)とまで宣言するほどの切迫した時代認識を語る一方で、前述した「党勢の極限的な収縮」というもはや誰ひとり否定できない現実があります。その間に何があるのか? この党中央の腐敗・堕落・停滞した現状はいったい何を意味しているのか?
“聖域なき総括”を行う以外にないのです。この苦しくも膨大な作業をやりぬく力のある人間が党内外にあまた存在することだけは、筆者の短くはない党生活の経験からいって間違いないと確信できます。総括の結果、何が生まれるかはまだわかりません。しかし「真に人間的な共同社会をめざす本物の共産主義」の思想と運動が、まったく新たな形で生まれ変わることもあるかもしれない。ただ、ひとつだけ確かなことは、本物の根底的な総括を抜きに、歴史への貢献という次元ではもはや現状の革共同はゼロ以下になってしまったのだということを知るべきだと言っているのです。それが今回明らかにされた党政治局の腐敗・堕落という事態の核心問題なのだと私は本当に思います。
各現場での責任の取り方は様々でしょう。これまで関わってきた運動や党外の組織、現在進行中の闘いの責任の残る各戦線・各地域の運動、もちろん獄中にいる同志の方々への支援継続も含めて、党内からそれぞれの自主連帯委員会のような運動の核となる人々を募り、当該の意志に沿った形でボランティアによる支援の方向を探ることも十分に可能でしょう。それこそ献身的で有能な人材はいくらでもいるではありませんか。そして現場での運動経験の蓄積たるや60年にも及ぶわけです。この腐り果てた中央政治局の現状を知るにおよんで、なおかつ「革共同」の看板をそのまま掲げ続けなければ維持できない運動などひとつもないはずです。
具体的に考えだすと、ただちに浮上する実際的な問題は生活面をどうするか(?)でしょう。世間並みに高齢化もすすんでいることは筆者自身を顧みるまでもないことです。それでも身体と精神の健康を維持し生きていかなければならいし、そうでなければ総括自体もままならないわけです。どうするか。各自がその能力に応じて働き、可能な社会貢献の道を模索しつつ、組織そのものは自由参加の生活互助組織として再建するという道も様々な形態で可能でしょう。当然、そのような新たな生活互助組織の運営をなすとすれば、全員参加の大会で承認された規約と人事に基づくものとなるでしょうが、そうなれば、知恵には事か欠かない人々が大勢いることだけは間違いないでしょう。
そして、ここで最大の問題は党の財産の扱いと処分方法でしょう。それこそ大会の決定に従う以外にありえないでしょう。一番大切なことは、当然ながら公明正大であることでしょう。党の財産は無数の労働者・市民のかけがえのない拠出によって成り立ってきたし、今現在もそうなのだということを忘れてはならないでしょう。現状の党財政がどのようになっているかは知るよしもありませんが、筆者が覚えている限りでも、かつて多いときで年間で〇を超える規模の予算を政治局が一手に扱ってきたのです。ことここに至って、党財政のバランスシートの詳細については一円に至るまで、党員はもとより、党に長年多大な献金を行い財政を支えてきたすべての人々に知る権利があるだろうと思います。ゆめゆめルーマニア共産党の元党首チャウシェスクのような資産横領を許してはならないということです。
最後に、私自身が党を離れてから、日々の労働と生活に追われながら考え続けてきたつたない総括作業の一端をごく簡単に述べておきます。
私たち(とあえて言います)革共同が考えてきたプロレタリア社会主義革命の理論的骨格は、トロッキーのスターリン主義批判を出発点としつつ、その圧倒的な部分がレーニンの著作に依拠したものです。レーニン死後のソ連の歴史が社会主義の理想とはおよそかけ離れた途方もない地獄を生み出したことはいまや全世界の人々が知るところですが、革共同はこれを「スターリン主義によって裏切られた革命」と規定し、「反スターリン主義」すなわちレーニン主義の継承を綱領的立場の柱に据えてきたわけです。上に引用した『現代革命への挑戦』(2013年)の中でも現代の共産主義を根拠づけるものとして「レーニンは次のように言っている…」「レーニンの提起は…」「レーニンは…」という文句が至る所に出てきます。実は「レーニンはこう言った…」というフレーズを歴史上誰よりも好んだ人物は誰あろうスターリンその人とゴルバチョフに至る歴代のソ連共産党書記長なのですが、その点はここでは脇に置きます。
知っておきたい点は、革共同が依拠してきたレーニンの著作はすべて『レーニン全集・第四版』全45巻からのものであり、これらすべてがスターリン時代に編纂された文書に限られているという問題です。この問題は意外にも党内ではごく一部の私的会話を除いて深刻に論議されたことはありませんでした。スターリンの死から約30年後の1981年に出版が決定された「第六版」は約70巻(!)に及ぶことが予想された(日の目を見ることはなかった)そうですが、91年のソ連崩壊後、ソ連共産党の党文書保管所に厳重に秘匿保管されていたレーニン文書の多くが公開されるに至り、欧米を中心とするアカデミックな世界の歴史家たちがこぞってこの公開文書を研究したのです。
これによって、10月革命直後のレーニンの膨大な直筆文書とそこに現れた「社会主義建設」の実像がかなりの程度まで明らかになってきました。ここで詳細を語ることは不可能ですが、革共同が「スターリン主義の犯罪」として断罪してきた1924年以後のソ連共産党の歩みの相当な部分が、実はレーニンその人と太い線でつながっていたのではないかと疑ってかかるに足る事実が続々と明るみに出ています。
ここで言いたいことは、レーニン主義の党、反帝・反スターリン主義の党たる革共同の思想的土台を揺るがしかねないと思われるこの問題に、ソ連が崩壊した1991年から今日に至るまで約30年近くもの間、党として真剣に向き合った形跡が見られないことです。
けっしてレーニン教条主義が革命的共産主義ではないはずです。現代世界の現実と向き合って、レーニンをも乗り越えて、必要とあらば徹底批判していく立場にたってこそ、真の革命党ではないでしょうか。
そのことはもうひとつ、革共同独自の綱領的立場の土台を作り上げた「段階・過渡・変容・危機」の現代世界論にも大きくかかわります。これは60年安保闘争を前後して、現代を「世界資本主義の政治的危機――革命的危機」の時代と規定した岩田弘(宇野弘蔵門下出身の経済学者)による世界資本主義論に依拠し、これを批判的に摂取しつつ打ち立てた革共同による現状分析の精華でした。それは60年代後半から70年安保改訂に向かう日本と世界の政治情勢を「戦後世界の根底的動揺期」ととらえ、70年安保・沖縄決戦を日本革命そのものを一気にたぐり寄せる階級的主体を形成するものとして位置づけ、幾多の街頭武装闘争をやり抜く理論的根拠を打ち立てたものです。
当時、この理論は様々な勢力から万年危機論などと揶揄されたのですが、にもかかわらず、その後のドル・ショック(71年)から今日に至る資本主義世界の一連の「危機」を予見しえたという意味では、当時としては世界でもまれに見る見識を示したことは間違いないと今でも思います。
しかしあれから50年が経過し、冷厳な結果として革共同はその「見識」に縛られ、そこから一歩も前に出ることが出来なくなったのではないでしょうか。80年代だったと思いますが、私たちはこの理論の延長で「日米戦争不可避論」まで唱え、「帝国主義戦争を内乱に転化する」道筋を考え、来るべき武装蜂起の主体と陣形を作り上げるという位置づけで、ゲリラ戦を軸とする対権力武装闘争に邁進してきたのです。
そしてその危機の対極の展望は「ロシア革命以来の革命的過渡期が、ただ一点スターリン主義よって変質したことで資本主義が延命しているのだ」としました。やはり問題はスターリン主義に絞り込まれ、ロシア革命自身の残した課題、レーニン自身の問題性とは向き合わないまま、革命論が自律的に展開していったのです。
言いたいことは、この革共同の現在までの方向を決定づけた綱領的な時代認識が、50年後の今に至るまで「プロレタリア革命」が起こらなかった現実とまったく相容れないことです。相容れない証拠が「革命的激動期がはじまった」と言いつつ「党勢の極限的収縮」という矛盾した現実ではないですか。
90年代以降、私たちは「武装闘争」をやり抜くために必要な物質的基盤を維持できなくなったことを背景に「労働運動路線」に転換しました。労働組合を握ることで革命をやるという路線です。これにあわせて時代認識も「新自由主義論」を基調とするものに衣替えしました。「労働組合的団結の根絶を目指して運動することでかろうじて成り立っている」(『現代革命への挑戦』)のが新自由主義というものなので、労働組合を握ることそのものが革命なのだという大転換でした。
しかしあれからもう30年、革共同は70年代末に旧動労から分離独立した動労千葉を例外として、ただひとつの大単産の組合権力に近づくことさえ出来ていません。引用した『現代革命への挑戦』では、「4大産別」の組合権力を革共同が握れば、国家機構の技術的な高度化はレーニンの時代よりはるかに進んでいるので、特別の知識や技能がなくても、労働者なら誰でも国家の運営が出来ると書かれています。本当なら素晴らしい。しかしこの収縮した小さな党の運営さえ、政治局がままならず崩壊状態に陥っている現状を顧みれば、「国家権力奪取後」の構想をとうとうと語るさまは、まるで夢の中にでもいるようです。
話を戻します。革共同は「党勢の極限的収縮」にもかかわらず、一方でこのような夢を人々に向かって説きながら、まさにそのただ中で党の最高指導部が妻以外の愛人を囲うなどの女性差別行為に身をやつし、それがバレそうになると政治局全員がこれを黙殺し、党内からの批判も封じ込めようとしていたという顛末。まさに中央政治局の崩壊としか言いようがありません。それでもなお、いま現在も何事もなかったかのように「国鉄決戦に総決起せよ」とか「戦争と一体の差別政策を許さない」などと中央機関紙『前進』は号令をかけ続けています。いまだに世をあざむいて「無謬の党」を演じている、このことがさらに党の転落をすすめていると自覚できないのでしょうか。
私自身、慙愧に耐えないことでもありますが、やはり自分の拠って立つ思想的な土台を否定しかねないような問題に、政治党派が旧来の組織防衛にかじりついたまま向き合うことは不可能だったのだと言わざるを得ません。解党する。そして総括する。それを公表する。党内外すべての人々の批判や意見を仰ぐ。それ以外の責任の取りようがあるだろうか。ない。
本来ならこの種のことについて党外の人間があれこれ意見を述べるのは筋違いです。しかし繰り返しますが、ことは既に革共同に今も党籍を有している人間だけの問題ではなくなってしまったのだということを、この駄文を読んだ方々にどうかご理解頂ければと思う次第です。
以上が、水谷氏代表執筆の記事が明らかにした革共同の現状が事実であることを前提にした、私のさしあたっての個人的な意見です。
2019年8月1日
長島由紀夫(ながしま・ゆきお)
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