《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

革共同政治局が動労千葉に敵対、加えて二つの女性差別問題を隠蔽、党本部で追及・批判が噴出、ついに政治局炎上

2019-07-19 10:42:25 | 日本の新左翼運動と共産主義運動をめぐって

革共同政治局が動労千葉に敵対、加えて二つの女性差別問題を隠蔽、

党本部で追及・批判が噴出、ついに政治局炎上

2019年7月15日

 書記長・天田三紀夫氏や政治局員・木崎冴子氏、同・坂木(高原洋一)氏ら「三人組」が牛耳る革共同中央派。その中央派が今、‘政治局炎上’というべき瓦解状況に陥っています。天田氏が書記長辞任を表明、木崎氏、坂木氏、鎌田雅志氏が自己批判中、昨年には辻川慎一氏が脱党・逃亡といった事態となっています。議長・清水丈夫氏は自らに火の粉が降りかかるのをただただ避けようとしているだけのようです。そうした事実関係の情報はすでに革共同外にも伝わり、次第に広まっています。
 きわめて注目すべき事態ですので、起こっていることを整理しておきたいと思います。以下、革共同関係者の敬称は略とします。

1)革共同が動労千葉支配を企む

 現在、革共同中央派中枢が大混迷に陥っている。その直接の発端は次のようなものである。
 2017年、書記長・天田三紀夫ら本社政治局が党的忠誠心の強いと認める辻川慎一(政治局員、労対部長、動労水戸創設者の一人、同副委員長、故中野洋の後の労組交流センター代表、ペンネーム:大原武史)を動労総連合のトップに据え、田中康宏(政治局員、動労千葉委員長・動労総連合委員長、ペンネーム:松丘静司)の上に置くという決定をした。

 それは、動労総連合結成の趣旨からしても、またここ10年以上にわたって「動労千葉型労働運動」「動労千葉特化路線」などと標榜してきた革共同中央派の建前からしても、あまりに突飛で非常識であるかにみえる決定であった。
 動労総連合は基本的にずっと、委員長と書記長は動労千葉から、副委員長は動労水戸からと役職を振り当ててきていた経緯もある。労組の連合体組織の運営においては、実体を反映した、誰もが了解しうるやり方である。
 それを突如、革共同政治局は「辻川をトップにすえて動労千葉を含む動労総連合を指導させる」という方針を決定し、田中に通告したのである。むろん田中は全力で拒否し、革共同は「国鉄決戦」の人事体制も確定しきれないまま混迷していくことになる。しかし事態が深刻なのは、この暴挙ともいえる人事が、実に根深い党の変質の結果であり、矛盾の爆発が不可避な構造にあることだ。

 この背景を少し見ておく。
 動労千葉は、近年、JR関連会社の非正規労働者の加入はあったものの、新規加入が進まず、苦しい組織実態となっている。16年からはJR職場の大量退職が加速されていく。このままでは組合が極小化しかねない。
 そのため、政治局は、動労千葉防衛と称して、国労組合員を国労から脱退させて「動労」を名乗らせるという党決定をした。動労千葉の組合員は11月労働者集会や国鉄集会の人数、また動労千葉の新規加盟や脱退に実に敏感である。そこに党がかかわっていようがいまいが、その結果をたたかいのエネルギーにしていく気概をもった活動家集団である。その点で、動労総連合結成方針は動労千葉にとって励ましになるものであった。

 しかし国労の中で1047名闘争の旗を掲げて厳しいたたかいを続けてきた国労組合員たちは、すぐには承服しなかった。なぜなら革共同の国鉄決戦論は伝統的に、職場生産点における闘争を通して、国労のなかにこそたたかう権力を打ち立てることを基本戦略にしてきたからである。国労の各支部・分会は各地の労働運動・地域運動・市民運動と密接な関係をもち、彼らの支援を受け、またその全体の牽引車となってきた。国労が日本階級闘争に果たしている影響力は大きく、日本革命の重要な戦略的部隊の一つであると確認してきたのだった。分割・民営化にたいする動労千葉のストライキも、国労の組合員の決起を呼びかける闘争としてうち抜かれてきた。動労千葉の存在と並んで、国労内部で決起し組織する国労共闘の存在は決定的であり、その職場闘争や1047名解雇撤回闘争は他に代えがたい重さがあった。07~08年にかけて5・27国労臨大裁判闘争に党の利害を強引にもちこんで、被告団、弁護団、支援陣形を分裂させて分離裁判に走ったという消すことのできない咎を背負いつつも、国労共闘の旗を掲げてきた。それを放棄し、動労千葉防衛の駒になれというのだ。

 それでも彼らは、党と動労千葉の厳しい現実に鑑み、煮え湯を飲まされる思いがあれど、結果として国労脱退・動労単組移行の組織方針に従った。それが14年のことで、「動労総連合を全国に」という前々からのスローガンを全国路線とすることが決められた。翌15年2月の動労神奈川を皮切りに、国労郡山工場支部では書記長職まで投げ捨てて単身で動労を結成し、動労東京を最後(16年6月)に、全地区で動労へ移行していった。こうして動労ならぬ動労が旗揚げし、動労総連合のいわば水増しが進められた。

 動労としては増員し、動労千葉の組合員は一時、高揚するだろう。しかし国鉄闘争全体のなかでは、国労共闘が長年つくってきた活動家との関係を断ち切って、党員だけでまとまってしまったのだ。しかも、この動労総連合においては動労千葉の位置が相対的に低められる力学が働く。問題は、この強引につくった動労総連合を、誰がどう内部矛盾を調整しつつ機能させるか、ということになる。

●「辻川動労総連合構想」をめぐって対立

 ここで当の田中は、党が疲弊する危機感や国労共闘の苦悶・格闘を共有するわけではなく、飄々と動労千葉の利害を党に対置し、党を批判するスタンスを変えることはなかった。天田らからすれば党の会議も組合の事情で簡単に欠席する田中は鼻持ちならない存在であった。天田は「田中は細胞性がない」「動労水戸は党細胞を組織しているが、動労千葉にはそれがない」と陰に陽に批判してきた。

 他方で、辻川は、まったく別のスタンスをとってきた。辻川は06年3・14Ⅱ(差別主義的テロ・リンチによる党内クーデター)以降、中野・天田の親衛隊長として台頭し、とりわけ中野死後には「中野顧問の後継者は自分である」と思いあがってきた。党として星野再審闘争とマル青労同拡大を強調し、実際に同盟員の獲得に一定の成果を収めてきた。党と党常任を重視し、そこでの意思統一に力を割いてきたし、党の会議も積極的に参加・発言していった。辻川は自らを「党的自覚の強い労働者党員」と自負したのだが、じつはそれは田中への対抗なのであった。天田を後ろ盾にして、‘第二の中野’として、党内権力の中心にのし上がって、党を縦横無尽に動かしたい、という野望のゆえだったのだろう。

 こうして辻川は、動労水戸とその活動を強調し、明らかに動労千葉に対抗する構図をつくってきた。「動労千葉と動労水戸を基軸とする動労総連合」をいうフレーズを意図的に使いつつ、かつ天田と合作の「労働の奪還論」なる珍妙なイデオロギーの旗手として自己を押し出しつつ、われこそ動労総連合のトップといった言動を強めてきた。たとえば「労働の奪還論を武器にプロレタリア革命へ進撃を」16年5月革共同全国代表者会議第1報告など機会あるごとに弁じてきた。
(※天田・辻川「労働の奪還論」についてはここでは詳述しないが、それは、国鉄当局・JR資本との対決点として、職場支配権の確立あるいは組合管理を武器としていく旧来の動労千葉労働運動とは異質な、「働こう運動」の提唱なのである。)

 上記のような諸関係のなかで、天田ら三人組は、辻川が定年退職を迎えた(17年9月)のを機に、エルダー再雇用拒否・解雇とさせ、常任にした。権力欲旺盛な辻川の側も、形ばかりの「解雇弾劾」を唱えつつ、常任化を受け入れた。そして三人組は、動労総連合の指導は田中ではできない、辻川が動労総連合の頭になって、田中をも指導する体制をつくる以外にない、と取り決めた。企図したことは、辻川・動労総連合を使った田中・動労千葉の支配・統制である。
 「辻川動労総連合構想」を通告された田中は、当然にも激しく反発した。三人組プラス辻川と田中との間には激しい葛藤、対立が生じたのだった。両者の間の抗争は、それぞれの存亡をかけた隠然たる権力闘争の様相を色濃くしていった。

2)辻川の脱党・逃亡と三人組の党内求心力の喪失

 その渦中で18年に辻川による東京の非正規雇用の女性労働者への女性差別問題が発覚した。
 辻川は当初「不倫ではない。純粋な男女の愛情による関係だ」などと開き直り、紛糾したのだが、事実を隠し追及をかわすことはできず、追い詰められた。辻川は自分の基盤である動労水戸を味方につけようとしたが、内部に一定の分岐が生み出されたものの、あえなく失敗した。辻川は、ついに勝手に脱党・逃亡してしまった。それが昨年6~8月過程で起こったのだった。

 3・14Ⅱ以降、「国鉄決戦の党」を呼号し「動労千葉防衛」を基軸にしてきた革共同中央派。その「労働者党員の代表」「労働運動の最高指導部の一人」として、いたるところで露出してきたのが辻川である。その辻川が一瞬にして脱党・逃亡してしまったのである。
 天田ら三人組による辻川動労総連合構想は、党による動労千葉支配を認められないとする田中サイドからの激しい反発、および党本部における田中同調の動きによって、加えて女性差別の常習犯である辻川(わかっているだけで今回が3度目)の問題性の露呈によって、あえなく失敗に帰したのだった。

 今回の辻川女性差別問題は、詳しくは書かないが、非常に悪質である。辻川は、当該女性を男女関係的にだましただけではない。政治主義的に利用するだけ利用し、あげくに卑劣にも見放し、何の責任もとっていないのである。三重四重の性差別犯罪であり、党的制裁のみならず、社会的制裁が加えられなければならないものである。

 もとより天田ら三人組は、この辻川動労総連合構想とその破産の顛末について、辻川女性差別問題を含めて、田中や党員全体に明らかにし、自己批判し、責任の所在を明確にしなければならない。そうであるにもかかわらず、天田らは、むしろ事態を隠蔽してきた。田中をなだめるために「政治局の自己批判書」を作成したが、それは自己批判になっておらず、一片の釈明書でしかないといわれている。その自己批判書すら党内には開示しないできた。辻川に対する追及、制裁は何もしていない。
 田中・動労千葉サイドにしてみれば、先兵・辻川が消えたとしても、党による動労千葉支配のたくらみの構造は何ら解消していない。党運営に関心の薄い田中としては珍しく辻川動労総連合構想の責任追及を続けないわけにはいかなかった。
 天田ら本社政治局の対応は不実なものであり、田中・動労千葉サイドでは党への不信が強まり、両者の間の葛藤・対立は構造化したといっていい。
 同時に、辻川問題を隠蔽する天田ら三人組への党員の不満、批判が次第に強まり、充満したまま、事態が推移した。三人組の官僚主義的権力はますます空疎化し、とりわけ天田の疲弊ぶりは顕著で、党内求心力は急速に失われていった。
 そのなかで、18年末には、天田の円満引退論が取りざたされる状況も生まれたのだった。

3)女性差別の隠蔽への糾弾を導火線に怒りが爆発

 2019年になって、さらに事態は大きく動いた。
 本社政治局への不満と批判が日々昂進するという状況に掉さす形で、前進社の某部局の女性が数年前に自らへの女性差別問題を告発したことを上から封殺されたとして政治局を糾弾する行為に踏み切った。彼女の所属部局が連帯して、「隠蔽を許さない。政治局を糾弾する」と、かなり激しい糾弾決議を挙げた。それは辻川動労総連合構想の誤りへの責任追及にも及んだ。
 この糾弾はパンドラの箱をあけた。
 一連の事実を知った党員は誰もが驚き、怒り、一体自分たちは何をやってきたのかと自問した。辻川がかような人物ということを十分に知っていながら、政治局はそれを容認し、隠蔽し、あろうことか動労総連合の責任者に持ち上げようとしていたのではないのか、という疑惑。この政治局は、本当に階級闘争を指導するにたる組織なのか、という不信と絶望である。
 糾弾決議は他部局に波及し、党本部のほとんどの部局が糾弾決議を挙げるに至った。わかっているだけで、印刷局、編集局、経営局、救対部、出版部、ドライバー部、理論委員会、マル学同中核派(前進社居住)などである。事態を知ったすべての党員が「本社政治局はここまで腐っていたのか」と激怒した。

 数年前の告発を握りつぶした鎌田雅志(政治局員、革共同のスポークスマン、元全学連委員長)と木崎冴子(政治局の実権派、女性解放組織委員会議長、中央学生組織委員会ゴッドマザー、天田の妻)が矢面に立たされ、糾弾、追及された。
 しかし、自分自身が神奈川県委員会所属時代に学生時代以来の夫を裏切り、党に嘘をついて天田と不倫関係を続けてきた木崎。女性解放組織委員会議長の座にしがみつきながら1991年11月解放東日本婦人交流集会と00年長野県知事選闘争の二度にわたって差別を起こし一度として自己批判書を書けなかった木崎。女性差別問題を圧殺・隠ぺいしてきた経験(04年、シンパの学生が受けた女性差別問題を「女性差別ではない。カクマル問題だ」とまったくまちがった反応をして当該女性を苦しめたこと、辻川の以前の不倫問題で辻川を擁護したことなど)は多いものの解決したことなどない木崎である。官僚的自己保身に終始し、自己批判できないため、鎌田と同じく権利停止とされた。前進社に缶詰めにされ、自己批判に専念させられている。
 さらに天田が政治局の組織責任を問われ、糾弾された。共産主義の政治思想を体得できず、無理論、言語不明瞭、官僚主義的恫喝の声のみ大きいということで知られる天田は、まともに自己批判できず、立ち往生してしまった。そして、昨年来のダメージもあり、「書記長辞任」を表明するにいたった。
 坂木もまた、自らが直轄し、かつ持ち上げ続けた東京北部地区委員会の指導部崩壊という組織問題(16年)をすりぬけてきたことも含めて、責任を問われ自己批判を求められている。
 糾弾のなかで、自己批判もできない三人組などのあまりの不様さ、醜態に怒りが募り、事態収拾のめどは立たず、解決を図る力がどこにもない状況である。

 こうした天田ら政治局追及・糾弾の動きは、本社女性の女性差別告発の封殺問題と、前述の辻川問題――辻川を使った動労千葉支配および辻川の女性差別、辻川脱党・逃亡――とが重なったものである。辻川問題の大きさと深刻さ、その隠蔽の犯罪性ゆえに、糾弾する党員たちはある種の徹底性をもたざるをえないといえる。
 それがこの4月、5月、6月に急速に進展したのである。

4)参院選取り組みを放棄

 こうした事態の中で、中央派は、斎藤郁真(前全学連委員長)を候補者として7月参院選に取り組むという、昨年8月以来の重大基本方針を維持することができなくなった。
 5月5日付で斎藤の出馬断念声明が出され、それが『前進』5月27日号に党のコメントを付して公表された。
 斉藤声明は「参院選への力を労働運動、社会運動に注がなければならない。だから出馬を断念する」というものである。これでは、参院選放棄の理由にならない。なぜなら、参院選をたたかうことで労働運動を強めると位置づけてきたのだから、支離滅裂である。
 そのうえで、「力ある革命党として登場できていない」「多くの人を組織する点での私たちの力不足」「労働運動のできる党になっていない」「現在の主体的力量の不足」などという泣き言を繰り返している。近年の中央派の言動にはまったくなかったネガティブなフレーズを、斎藤はあえて記さざるをえなかった。それは、明日にでも「ゼネスト」が実現できるかのように呼号し、「動労千葉型労働運動が全国で拡大している」と宣伝し、「1000人のマル青労同をつくる」と豪語してきたことがすべて虚言であることを自認するものである。

 つまり、斉藤声明は、第一に、参院選に取り組むことすらできない現在の政治局の機能不全を自認するものである。
 第二に、ここ十数年にわたる「動労千葉型労働運動路線」という政治局指導の大破産を、斎藤なりの学生運動の現場から弾劾する意味を込めたものなのである。
 第三に、都知事選(14年)、衆院選(14年)、参院選(16年)、衆院選(17年)への連続的な出馬というデタラメな運動路線、その惨憺たる選挙結果、そのたびに巨額の供託金が課せられる過度の負担、実力闘争否定のための党運営のやり方が何一つ労組づくりにつながっていないことへの敗北感、本社政治局への不信が読み取れる。参院選の号令をかけても、中央派の誰も動こうとしはしないのである。
 第四に、ではどう打開するのかという問題では、何もない。ほんとうに何もない。彼らが思いつくことは、「中野洋著『新版 甦る労働組合』(08年)を全力で学習・主体化しよう」ということしかない。中野労働運動路線でやってきたことの結果が今日の状況なのだから、中野路線を自己批判的に総括しないかぎり何も生み出されない。

 ちなみに、斎藤は5月7日に京都府警に不当逮捕、その後、起訴されている。

5)中央派形成の党是が崩壊している

 他にも深刻な問題がいくつかあるが、ここでは省く。
 いま起こっている‘政治局炎上’の根本問題は何であろうか。
 中央派のいう「労働者階級」「階級性」「労働運動」の中身が、党の動労千葉への敵対であるということが示されたことは、じつに本質的な事態である。また数々の女性差別の隠蔽にしても、08年広島差別事件を「差別事件はねつ造」などと開き直り、差別の上に差別を重ね、差別糾弾に敵対した革共同の必然的に行き着く姿であるといえる。
 ここに中央派形成の根幹が揺らぎ、その根幹は事実上崩壊したといえる。
 つまり、(1)06年3・14Ⅱ以来の「動労千葉型労働運動路線」、「動労千葉特化路線」、さらに「党と労働組合の一体的建設論」(14年12月第7回大会路線)、(2)「血債主義粉砕」の名による差別糾弾・排外主義糾弾のたたかいへの敵対路線(08年七月テーゼ)という中央派の‘党是’が、すべて破産をあらわにしたのである。
 同時に、(3)何よりも党内テロ・リンチの3・14Ⅱを美化し、かつ「血債主義派打倒」のためと後から意義付与した「党の革命」路線なるものが、いっさいの反対意見の絞殺、反対派の粛清・除名、党内情報管理社会化という実態であること。その恐怖政治型の権威主義・官僚主義への積極的・消極的な服従と加担に長年にわたって身をゆだねてきた党員たち。そのすべての腐敗した組織的現実がもはや臨界点に達し、決定的に破裂しているのである。

 しかし、田中や党本部各部局のメンバーたちは、天田ら三人組による辻川動労総連合構想、そこにおける党の動労千葉支配などという暴挙にして愚挙がなぜ起きたのかについて、自己総括し、解明できているのであろうか。それができていることを示す兆候は、今のところどこにもない。
 革共同の動労千葉支配=敵対は、中央派の前述した三つの党是ゆえに引き起こされたのであるが、もっと端的にいえば、清水丈夫が提唱した「党と労働組合の一体的建設」論がその直接の元凶なのである。

6)元凶は清水「党と労働組合の一体的建設」論

 「党と労働組合の一体的建設」論とは、辻川が動労水戸での同盟員獲得を通して、労働組合の大衆基盤も一定拡大してきたことを、清水が絶賛し、基本路線に高めたものである。

 中央派としては、「新自由主義」の時代においては、党が党員獲得・マル青労同獲得を軸にして組合工作を行い、党員獲得の前進と比例してしか職場闘争や組合への影響力拡大はなしえないという方針である。一言でいえば、党員でなければたたかえない、という発想である。これを14年の政治局1・1アピール前後からしきりに言及し、第7回大会で党の基本路線とした。
 そして重要なことは、この路線のもう一面の問題意識が、「党員獲得」に力を入れようとしないどころか、組合員の党批判にひるんでいる田中に対する指導的批判の要素を込めるというところにあったことである。そこから辻川動労総連合構想へとストレートにつながっていったのである。
 したがって、「辻川を使った動労千葉支配」というのは、実はいっときの組織方針の誤りではなく、党政治局全体による第7回大会決定とそれにもとづく基軸路線そのものなのであり、その末路なのだ。

 ここには清水と三人組の、元来の致命的な思想的敗北が垣間見える。それは「今の時代は党員しかたたかえない」という驕りである。どこを見ていっているのだろうか。国会前で、経産省や東京電力前で、沖縄で、靖国神社前で、全国各地で、安倍自公政権に対する渾身の怒りで決起している人々の群れが見えないのか。そして動労千葉の労働者自身が、党がどうあろうが自らの生き方をかけてたたかい続けているではないか。革命的共産主義者の矜持とは、これを全面的に支持し、革命的に位置づけ、その先頭でたたかいぬく以外のところにあるわけもない。

 現革共同中央派政治局がそれと正反対にうちだした「党と労働組合の一体的建設」論の思想こそ、大衆闘争の現場から目を背け、党員以外は資本との職場闘争も、また政治闘争もできないなどという階級不信の最たるものであり、ついにその矛先を動労千葉の組合員にまで突き立てたものであった。それこそ、党による動労千葉利用主義の極致として断罪されなければならない。

 今回の問題の根は極めて深い。一片の自己批判で決着するものではない。
 議長・清水丈夫が路線化し、旗を振った党大会決定とそれにもとづいた4年以上にわたる実践のすべてを清算しなければならない。また08年7月テーゼ以来の差別主義・排外主義との対決からの逃亡=敵対を清算しなければならない。だが、こんなことはできるわけがない。仮に11月労働者集会を微増させたとしても、解決できるものでもない。もちろんそれさえもほとんど不可能となってきている。

 深刻で犯罪的な辻川問題の元凶は、ほかならぬ清水丈夫その人であることを、中央派の中で何人が認識しているだろうか。現在の‘政治局炎上’という事態にたいしてまるで超然とした位置にいるかのように、清水は装っている。その清水を表に引きずり出し、徹底的に追及し、自己批判を強制することが、はたしてできるだろうか。党内からそのエネルギーが生み出されてくるかどうかに、革共同中央派の存亡がかかっているといえよう。

 中央学生組織委員会は「党を若々しく生まれ変わらせる」と力説するのだから、大いにやってみたらどうか。
 その前提となるのは、まちがいなく、腐敗・堕落した現政治局の全面的・根底的な打倒である。ここをすりぬけて次はありえない。今のように事態をひたすら外部に漏れないようにし、平静を装っているうちは、中央派の自浄・再生はありえず、労働者階級人民からの不信は拡大するばかりである。
 いまひとつ前提となるのは、革共同とは何か、革共同の革命的・戦闘的たたかいの歴史はどのようなものか、その変質と腐敗、誤りの全過程はどのようなものかを、自らの死活をかけて対象化、研究することである。なぜなら、‘おのれは何者なのか’を知らずして、何ごともなしえないからである。

●辻川問題と二つの女性差別問題の事実と真相を公開せよ

 最後に一点。
 今回の辻川問題と二つの女性差別問題は、当初から党内外の多くの人々を巻き込んでいる。動労千葉組合員、動労水戸組合員、旧国労共闘とその支持者、差別を受けた当該女性たちとその支援者などにたいして、革共同中央派は、今回の辻川問題および二つの女性差別問題を根本的に切開し、事実とその真相を明らかにしなければならない。とりわけ犠牲者である当該女性に全面的に謝罪しなければならない。党として労働者人民に自己批判を表明しなければならない。
 もし中央派に政治党派としての最後の矜持、公党たる道義的責任の自覚が一片でも残っているなら、筆者らにいわれるまでもなく、自ら進んで、事実と真相の究明、辻川を始めとする全関係者の処罰、彼らの打倒、党としての謝罪と自己批判を公開しなければならない。そうではないだろうか。

 いずれにせよ、今日の‘政治局炎上’は中央派の腐敗と堕落が行き着いたところである。その腐敗と堕落とは、共産主義の党、反帝国主義・反スターリン主義の党、プロレタリアートと被抑圧民族・被差別人民の党、武装闘争の党とは真逆の存在だという点にある。

代表執筆:水谷保孝(みずたに・やすたか)


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