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《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

破廉恥、あまりにも破廉恥なり‼ 革共同26全総

2019-10-18 10:49:41 | 日本の新左翼運動と共産主義運動をめぐって

破廉恥、あまりにも破廉恥なり‼ 革共同26全総

 

本多延嘉編『勝利に向かっての試練』1969年6月刊      ▲中央派『綱領草案』2010年10月刊


Ⅰ)自浄力ゼロの革共同中央派

 

 革共同中央派が、2019年9月に第26回全国委員会総会を開催したことを発表した(『前進』3076号、10月14日付)。そのなかで、26全総の議案を近く『共産主義者』202号に掲載する、と記している。この記事も、26全総議案の中身を要約したものとみてよいだろう。

http://www.zenshin.org/zh/f-kiji/2019/10/f30760201.html

 

 しかし、問題は26全総開催の前に、中野洋死後の、〈天田三紀夫・天田(黒川)純子(木崎)・河村剛(坂木)&辻川慎一⇔清水丈夫〉という政治局体制(註1)がすでに全面的に瓦解していたことである。※川村剛→河村剛に訂正。

 中央WOB(ウォッブ)(中央労働者幹部団全国会議、註2)の一員である山梨(神奈川県委員会湘南支部)が党本部α部局のPさんをレイプし、その後も性暴力をふるい続けるという許しがたい女性差別を犯したこと、それにたいするPさんおよび連帯する女性たちの必死の告発(19年3月)がなされたことが導火線となり、(1)辻川問題、(2)山梨問題、(3)国労共闘解体・国労脱退―動労総連合拡大問題の矛盾が爆発したのである。

 山梨問題の直接の責任者・当事者である木崎をはじめ天田、河村、鎌田雅志らは追及され、自己批判もできずに、辞任・解任となり、政治局から消えた。

 辻川(中央WOB議長)はすでに二つの女性差別犯罪が露見し、開き直ったまま、18年9月に動労水戸細胞を分裂させて逃亡・離党していた。

 かくて、06年3・14Ⅱ(関西における集団的・差別主義的テロ・リンチによるクーデター、中野洋が支持・野合)によって成立した政治局および中央WOBという中央派指導中枢が、文字通り自滅したのである。

 ついに、起こるべきことが起こったといえよう。

 26全総は、この党瓦解の事態を乗り切ろうとした断末魔のあがきにすぎない。

 実際、小手先の延命策、修復策をほどこしても、この党瓦解はもうどうにもとまらないであろう。

 

 26全総では、議長・清水丈夫を始めとする政治局員全員(田中康宏も含む)が辞任した。

 26全総実行委員会として秋月丈志が議案を提起したとのことである。

 また同実行委から新政治局人事案が一方的に提案され、採択されたそうである。つまり自薦・他薦の選挙ではなかった。

 かつてなかった党崩壊の危機だというのに、あいもかわらぬ「悪しき上意下達」の組織運営しかできないとは、あまりにも危機感がない。権威主義・官僚主義にどっぷりとつかったおのれたちの姿を鏡に映して見るがいい。どこが「党の生まれ変わりの出発点」だというのか。笑止千万とは、まさにこのことである。

 それでも、議案および新人事案への反対、異議が少数ながら出たといわれている。

 

 新政治局の構成は、常任が少なく、労働者(と言っても職場がなく常任化している者もいる)が多数を占めているようである。もっとも前政治局でも、田中、辻川以外にも複数の労働者が入っていた。おそらく今回も、中央WOBの複数メンバーが政治局入りしているのであろう。つまり前政治局と中央WOBとは田中など複数の労働者がどちらにもかぶっているのに、中央WOBは何の責任も問われず、知らん顔してすり抜けたわけである。

 中野死後、革共同を代表する労働者最高指導部として辻川と二枚看板で振舞ってきた田中は、逃亡した辻川の後、昨年来、中央WOB議長になっていたとみられる。その田中は、まるで‘辻川による被害者’であるかのように立ち回り、26全総で再任された。

 

 外から見ていると、ここ数年、清水の影はとても薄いのだが、辞任―再任となっている。1997年から刊行・配本が始まった『清水丈夫選集』は、06年3・14Ⅱで刊行が一時停止となり、長年にわたって未公刊が2巻(執筆時期は1981~1988年)も残っているのに、いまだに出版の話は出ていない。中央派は、まるで1980年代の革共同の歴史を悪夢のように忌み嫌っているかのようである。清水署名の論文も久しく発表されていない。しかし議長であり続けている。

 その清水はかくも重大な組織問題が爆発したというのに、26全総に出席しなかったにちがいない。おそらく一片のメッセージぐらいは送ったであろうが、もしそうなら「清水議長メッセージ」こそ革共同の全党員のみならず、すべての労働者人民の前に公表されなければならない。

 しかも、清水の辞任はあくまでも形式的な手続きでしかなく、彼は何の責任もとらず、卑劣というか狡猾というか醜悪というか、ともかく延命したのだ。清水も破廉恥だが、清水居座りを願う新政治局もそれ以上に破廉恥である。それを押しつけられた党員たちは、いったい何を考えているのだろうか。

 まさしく清水免罪=再任は、中央WOB完全免罪とともに、26全総における最大の欺瞞であり、トリックであり、中央派が何も変わっていないこと、変わりえないことを端的に象徴している。

 

 書記長の秋月丈志は、広島大出身、85年10・20三里塚決戦被告、その後は中核編集長、出版部という経歴の人物であり、06年3・14Ⅱの時は、出版部にいた。その後、広島に戻って広島県委員会書記長(中国四国地方委の書記長でもある)に就いた。

 その間、秋月は、07年8月の広島差別事件の際には広島県党の責任者であり、直接の当事者だった。7月テーゼ(「階級的労働運動路線のもと 7・7思想の革命的再確立を」清水丈夫執筆)を絶対化し、差別であることを絶対に認めず、差別糾弾のたたかいに差別主義的・硬直的に敵対した人物なのである。(水谷保孝・岸宏一共著『革共同政治局の敗北1975~2014――あるいは中核派の崩壊』第3章第3節を参照)

 秋月がまだ若いころの話で、本人には気の毒だが、書記長権力の位置についた以上、秋月は耐えねばならない。01年6月の都議選において選対本部長・天田が致命的誤りを犯した。すなわち、同年4月に発足した小泉政権が郵政民営化を軸とする「聖域なき構造改革」を猛然たる勢いでうち出したことにたいして、天田はすくみあがり、「小泉政権との対決を表にだすと票にならない」といい出して、小泉政権批判を選挙戦のタブーとした。ただちに激しい天田批判が噴き出し、大きな組織問題となるも、天田は半年間にわたって自己批判できない状態となった。じつは、「小泉政権批判は票にならない」と強調していたのは、当時AP(アーペー)担当の秋月であり、天田はそれに乗ったのだった。秋月への組織的な追及的批判はしなかったが、秋月から自主的な主体的自己批判は出されなかった。自らもたたかった10・20三里塚決戦を総括できず、対権力の思想的日和見主義に囚われてしまったのが秋月であった。

 そういう人物だから、政治局崩壊の事態のなかで、のしあがり、あるいは登用されたのであろう。

 

 なお、新体制は「暫定」とされているが、人事は本来大会で決定すべき議題であるため「暫定」としているのであり、次の体制へのつなぎ人事というものではない、と筆者らは判断している。新政治局は清水を含め、この体制以外ないものとして、断崖絶壁で必死になって田中・秋月体制を回していこうとする。

 そして、そのことによって中央派瓦解を促進するであろう。

 

 さて、前記の『前進』記事(おそらく田中―秋月執筆)は当然にも26全総の内容を反映している。だがそれは、一方で、「指導の誤り」「指導の破産」「空論主義」「現実の運動を阻害、妨害」「資本・権力と闘えない党」「マルクス主義からの逸脱・解体」とまで断じながら、他方で、自ら招いた事態の大きさ、深刻さをみすえられず、身を切るような自己批判のカケラもない。それどころか、「大きな前進があった」などと、前記の最大級のネガティブ修辞とは真逆のことをいうありさまである。

 彼らは、ただただ、(1)辻川問題、(2)山梨問題、(3)国労共闘解体・国労脱退―動労総連合拡大問題などの事実関係とその真相を隠そう、隠そうとしている。そこで問題となったことは、集団的女性差別犯罪であり、階級的労働運動路線(動労千葉特化路線)の大破綻とその犯罪性ということであった。26全総は、それを真剣に自己批判、討議、総括するのではなく、真相の隠蔽と開き直りを図ったとみるしかないであろう。

 したがって、これら重大な組織問題の原因が何であり、思想的・路線的・組織論的な根拠が何なのかを何一つ明らかにしえていない。

 それゆえ、前記『前進』記事には何の戦闘性も決意性もなく、非常に脆弱なものである。

 このように、残存中央派は26全総の議案内容および新人事をもって、「内部変革の可能性なし」、「自浄力ゼロ」を白日のもとにさらけ出したのである。「党は変わらなければならない」という悲痛な声が湧きおこってきたというのに、その声は空しくこだまするだけである。

 革共同中央派は、26全総が如実に示すように、‘共産主義者の政治的結集体’とはまったく対極にあり、‘反帝国主義・反スターリン主義の綱領および思想’に敵対する権威主義と奴隷根性、組合主義と女性差別犯罪にまみれた腐敗集団でしかない。

 

【註1】中野洋=政治局副議長、組織名:安田、中央WOB座長、動労千葉顧問、2010年3月死去。

天田三紀夫=政治局書記長、筆名:大倉総一郎、榊原龍雄、元神奈川県委員会委員長。

天田(黒川)純子=政治局実権派、筆名:木崎冴子、関東地方委員会統括責任者、マル学同中核派およびマル青労同ゴッドマザー、19年4月杉並区議選選対本部長、元中央女性解放組織委員会議長。

村剛=坂木、元政治局中央労働者組織委員会議長、東京都委員会委員長、筆名:高原洋三。

辻川慎一=動労水戸創設者の一人、政治局中央労働者組織委員会議長、中野死後の中央WOB議長、筆名:大原武史、18年9月逃亡・離党。

清水丈夫=政治局議長、筆名:津久井良策その他、『清水丈夫選集』全10巻のうち8巻分だけ公刊、残り2巻は封印か。現在までまる50年間にわたって非公然形態にあり、党員の前に姿を現わしたことなし。

鎌田雅志=政治局スポークスマン、党本部α部局担当、元全学連委員長。

田中康宏=政治局員、辻川逃亡後は中央WOB議長、筆名:松丘静司、動労千葉委員長(19年9月退任)。

【註2】中央WOB(ウォッブ)=06年11~12月、中野が中央労働者組織委員会(WOB)とは別に中央WOBを形成。前者が職革(職業革命家)・常任によって構成されるのにたいして、後者は中野が恣意的に東京を中心に全国から選抜した労働者幹部党員によって構成された。ネーミングにWOBを使っているが、実態は、中央労働者幹部団全国会議である。

 

(つづく)

 

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