《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

小熊英二氏はなぜ「轢死説」を唱えるのか――本の紹介(下):10・8山﨑博昭プロジェクト編『かつて10・8羽田闘争があった 山﨑博昭追悼50周年記念〔寄稿篇〕』

2018-02-16 20:31:07 | 日本の新左翼運動と共産主義運動をめぐって
(承前) /三 『1968【上】』で検証抜きの悪意ある情報操作 /小熊英二氏は『1968』上下巻(二〇〇九年、新曜社)を世に問うた。同書は、一九六八年とそれを前後する過程の日本の社会運動の全貌を描き出そうとした意欲的な大作である。きわめて膨大な史料を渉猟した重要な史料集成でもある。著者の並々ならぬ努力の賜である。 /同書において小熊氏は、一見したところ政治学・歴史学による研究の基本である客観性に基づく姿勢を打ち出している。つまり、主観を排除して当時の史料・証言により客観性を徹底しつつ当時の「出来事」を検証し再現しているような姿勢である。だがよく読むと、この小熊氏の姿勢は実は、用いる史料などを自己の都合に合わせて利用するという手法を取り入れていることがわかる。それは自己都合による史料操作に外ならず、冤罪裁判でも見られる手法であり、極めて悪質なものであると言わざるをえない。慶応大学教授の社会的職責のある小熊氏には、およそ研究者としての節度を欠いているのではないかと根本から疑問視せざるをえない。それを最も端的に露呈している箇所が、山﨑博昭さんの死因についての記述なのである。 . . . 本文を読む