形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

横浜港の青いコーヒー豆

2013-01-08 17:56:52 | Weblog

二十代の始めの頃、横浜港でよくチェッカーのアルバイトをした。
外国船が横浜港に着くと、運んできたものを荷揚げする。
その荷を受け取るために、ハシケという運搬用の小型船が集まる。
このハシケに移す荷を数えてチェックするのがチェッカーだった。

バイト代がよかったので、大勢の学生がバイトに来ていた。
港の事務所でヘルメットと、冬なら厚手のコートと弁当を受け取り、
小型船に乗せられて入港している外国船に乗り込む。
仕事は、ナイト、デイとあり、たくさん稼ぎたいときは、
ナイト、デイ、ナイトと、一昼夜と半分やった。 
拘束時間がきついので、眠気との戦いだった。 

中にはどう口説いたのか、ハシケの船長を支給された弁当で釣り、
自分は船倉で寝て、船長に数を数えさせているなんていう猛者もいた。

外国船にはコーヒー豆を運んでくる船もあった。 
麻袋に鉤手を掛けて運ぶので、袋に穴が開き、
生の薄緑色のコーヒー豆が甲板に散らばる。 
仕事の合間に、一緒にバイトをしていた友達と拾い集めて、
ズボンのポケットにいっぱい詰め込んだ。 
朝、バイトが終わり、疲れきってアパートに帰る。
そこで友達と入れて飲むコーヒーはうまく、大きな楽しみだった。

コーヒーを入れる道具は何もないので、フライパンで豆を煎り、
ペンチで一粒、一粒潰して入れた。  
そのときいつもラジカセから流れていたのは、
サンタナのブラックマジックウーマンだった。

                     
からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/



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