Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§114「侍」(支倉常長) 遠藤周作, 1980.

2021-04-30 | Book Reviews
  約四世紀前、ある宣教師の手記を通じてよみがえる侍の物語。

「海は長い間、日本人にとって夷狄から守る大きな濠であった」(p.37)

 安土桃山時代から江戸時代初頭にかけて、幾多の宣教師や日本人が生死と隣り合うその大きな濠を渡っていきました。

 天正15年(1587年)、カトリック系イエズス会が長崎を教会領として統治していることを危惧した豊臣秀吉が伴天連追放令を発しました。
 
 慶長18年(1613年)、カトリック系フランシスコ会はイエズス会の轍を踏まぬべく、伊達政宗を通じて東北地方での布教と引換に、スペインの植民地・メキシコとの通商を目的として慶長遣欧使節を派遣しました。
 
 スペインやポルトガルといったカトリック系会派の競合のみならず、イギリスやオランダといったプロテスタント系宗派との抗争の果てに、その宣教師が綴った手記はいわば欧州列強の告悔だったのかもしれません。

「今度の旅はすべてあの日本を主の国にしたいという一念からはじめたものだった。だがそこには都合のいい自己弁護があり、利己的な征服欲がかくされていなかっただろうか」(p.329)

 また一方で、その通商交渉を成功させるために、キリスト教信者になることも辞さなかった侍が、8年後に鎖国した日本に帰国し、受けざるを得なかった沙汰は、死をもって幕府に詫びることでした。

「ここからは・・・・あの方がお供なされます」(p.405)

幼き頃より侍のそばに仕えお供してきた家臣が最期に交わした言葉。

 侍(さむらい)とは、そばに仕えお供すること。自らの最期に臨むとき、そのそばには沈黙する神か、はたまた他ならぬ在りのままの自分が「永遠の随伴者」として寄り添っていたのかもしれません。

初稿 2021/04/30
校正 2022/02/16
写真 不動明王立像
撮影 2020/01/19(東京・国立博物館)
注釈 煩悩を抱えた救い難き人をも力ずくで救うために忿怒の姿をした大日如来の脇侍
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