Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§55「新史 太閤記」(豊臣秀吉) 司馬遼太郎, 1968.

2016-10-21 | Book Reviews
 「戦わずして勝つことは良将の成すところ。戦は六、七分の勝ちで十分とせよ、故に敵の逃げ道を作っておいてから攻めるべし」

 「人と物争うべからず、人に心を許すべからず。傍に控えるおそろしき奴は、遠くに飛ばす」(太閤 名言より意訳)

 墨俣一夜城や備中 高松城の水攻めは、土木工事を労働集約型産業として戦術にまで高め、その膨大な労働力と資材の調達や監理を担う財務官僚集団を形成しました。

 また、京という大消費地を賄う外港として、瀬戸内海と淀川・琵琶湖の水運の結節点である石山本願寺跡を流通都市 大坂として戦略的に整備しました。

 つまり、領土を拡げ兵馬の動員力によって覇権を争うのではなく、販路を拡げ商品の供給力によって市場を支配することで、天下を統一しようとしたのかもしれません。

 さらに、秀吉は自らを凌駕しうると考えた黒田勘兵衛には大国を与えず、徳川家康には遠国を与えることで、絶対的優位性を確保しようとしたのかもしれません。

 とはいえ、安土桃山時代は中世の封建主義から貨幣経済の黎明期への変曲点として考えられますが、絶対的優位性を確保することだけでは、必ずしも天下統一の十分条件ではないような気がします。

初稿 2016/10/21
校正 2020/12/05
写真 大坂城
撮影 2012/12/19(大阪)