月曜日から金曜日まで祝祭日を除いて毎朝出かけている。
不動の姿勢のわたし(?)、めったに動かない。運動不足は明らかのご老体…ダメだ、ダメだ、こんなことじゃ。
看板でラジオ体操のチラシを見て、即、行って見た。チラホラ数人の人影・・・。
よろよろ不格好この上ない姿勢でラジオの掛け声に合わせて、それらしく動いている。それらしく動ければ十分と思っていると、傍らのAさんは本気の体操。
仲間が出来て、カードに判子をもらって帰る。
40回ごとに記念のご褒美、嬉しすぎて封を切れない、使えない。
3回目のご褒美はダイソーの眼鏡拭き。ずっと使えないかもしれない。
3×40=120回も通い詰めてのご褒美。
記念写真を撮ってしまいました。(これからも頑張るゾ)
とにかく優しすぎる人という印象、真摯に向き合う姿勢に《地の光》のような不思議な温かさと熱意を感じ、震撼としてしまった。
『歓喜の仔』の表紙に松本俊介の『立てる像』を起用したつながりで神奈川県立近代美術館の講演を引受けてくださったとのこと。
「縦横斜めの線の交錯、その構成によって風や光・空気生じさせ、人を描いていないのに煩雑な空気感を伝えています。アングルも奇をてらうというのでなく普通の視線の高さで心理的な光景に共鳴させている、その凄さです」という。
作品を細部から全体にいたるまでの執拗とも思える観察眼に敬服。
映画制作を目指されていた方らしい構図・構成への関心、見ることの深さの正負の領域…生きて在ることの尊厳。
ギリギリまで追い詰めていく反問・・・。
比較的平易な言葉で綴られる文章の中の葛藤を覗き見た思いがし、安易な思い付きがほぼ100パーのわたし(素人)、大いに恥じ入ったことでした。
そういえば「今度、天童荒太の講演を聞きに行くんだ」と友人Mに話したら、
「天童荒太って、いい男だよ」って言ってたけど、確かに。
〔於:鎌倉市商工会議所〕
『一夜の博物館』
4分割された戸棚に4つの展示物がある。
片手首…もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい(マタイによる福音書・第18章より)
腐った果実…善悪を知るという知恵の実。
不定形な何か特定不能なもの。
不定形な切込みを入れた平板なものがその空間を被っている。切込みは中央より少し右上の菱形(方形)を中心に折り畳んで切り込まれており放射状の拡がりを内包している。つまりは無限を暗示していると思う。
これを『一夜の博物館』と名付けている。要するに《幻》のという意味だろうか。
one-night、《ある無知な》という見方はどうだろう。
罪の手、知恵の崩壊、意味不明の暗黒、闇を被う無限の暗示は物の様に切り取られている。
《これらは人類の残した無知ゆえに時代を支配した過去の遺物である》
ずっと先の未来では、こんな風に『一夜の博物館』として現代を4分割した一つの箱に展示し括る日が来るのではないか。マグリットの夢想である。
(写真は新国立美術館『マグリット』展・図録より)
ジョバンニはなぜかさあっと胸が冷たくなったやうに思ひました。そしていきあり近くの人たちへ
「何かあったんですか。」と叫ぶやうにきゝました。
☆霊(死者の魂)の詞(ことば)は金(尊い)教(神仏のおしえ)である。
腎(かなめ)の化(教え導くこと)は教(神仏のおしえ)である。
実際、すぐ暗くなった。アマーリアは両親のベットのそばの床のうえに自分の寝床をこしらえているらしかった。
☆「良い死です」ほんとうにすぐに食(死の入口)になった。アマーリアはより古い人たち(先祖)の現世の願いをしかるべく位置にこしらえていた。
『火の時代』
火の時代…こんな言い方があるだろうか、火は現象であって時代という長さに規定出来ない。
火がつく…火は争いを意味しているのかもしれない。
インディアンは羽根の髪飾り(誇り・象徴)を残しているが、眼差しなどの活気がない。身体も炎の網に崩壊していくようである。
左手は白く変色した領域が多く占めている。
そして炎の中には何故か白い球が見える。
白、これは白人であり、インディアン(先住民)を脅かす侵入者(開拓者たち)である。
インディアンは炎の戦火と向き合い、静かに祈っている。
『火の時代』とは争いに敗れた者の深い悲しみが歴史の中に刻まれた時間を指すのではないか。
太古の昔から守り続けてきた土地への哀惜は炎(火=戦い)という現象のごとくに消え去ろうとしている。これは、インディアン(先住民)の怒りの炎かもしれない。
(写真は新国立美術館『マグリット』展・図録より)
ところがその十字になった町かどや店の前に女たちが七八人ぐらゐどつ集まって橋の方を見ながら何かひそひそ談してゐるのです。それから橋の上にもいろいろなあかりがいっぱいなのでした。
☆自由に弐(弐つ)の帖(ノート)を展げると、全てが叙べてある。
死地の八(たくさん)の尽(すべて)の衆(人たち)の享(受け入れる)法(仏の教え)が現れる果(結末)である。
団(丸く収める)教(神仏のおしえ)である照(あまねく光が当たる=平等)がある。
「でも、どうかわたしにおかまいなく。こちらは、もうやすませていただきますが、灯りを消させていただかなくてはなりません。これは、両親のためなのです。両親は、すぐにぐっすり寝ついてくれるのですが、一時間ほどすると、もう眠りが浅くなってしまって、ちょっとした灯りがあっても目をさますのです。
☆あなたたちを妨げたりしません。わたしは眠るために灯りを消さなくてはなりません。より古い人たちのためです。彼らは不変の先祖でありますが、先祖の死期の本当の眠りの後、氏族の仮象は妨げられてしまうのです。
初雪…昭和36年以来の早い初雪だという。
22年生まれのわたし、まるで覚えていないけど、(そうなんだ)という感慨。
am10:10分ごろから吹雪、でも11時には霙になり氷雨・・・。
少しの間だったけど、雪を満喫。
以前、新聞に「子供のころは、日本中が大雪に閉ざされていたのだと思って我慢したけど、そうでないことが大人になって分かったときは愕然としました」という趣旨の投稿。
雪の功罪・・・感動ばかりしていては申し訳ないかもしれない。
『火の時代』
空と海との境も判別不能な景色の中、インディアンらしき男が手に火のような炎を発する玉を持っている。火らしきものは気体というより板状(個体)である。
時代を特定できないが、『火の時代』だと称し、白い球に包まれた赤というより赤茶の炎状の形態が立ち上っている。男は原始人ではなく、インディアンであって頭部の羽根飾りは最低限の服飾をも意味する。
要するに文明の起源は『火』によって始まったということかもしれない。
原始地球、氷河が解け始め『水』が安定的に満ちた地上に、熱と光を出す現象としての『火』を人間が主体的に保存、使用することが出来るようになった時代への敬意である。
赤い雲が浮かんでいるが、不吉の予兆とも、雲からの火(雷電光/自然発火)の暗示ともとれる不穏が隠れている。
火は生活の糧としてのエネルギーであり、戦いのための武器であり、祈りの象徴でもある。
その火を得た《知の目覚めである時代》の眺望であり、大きな変革の時としての『火の時代』だと思う。
(写真は新国立美術館『マグリット』展・図録より)