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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

鈴木しづ子(私的解釈)いまさらの。

2021-05-20 07:20:06 | 鈴木しづ子

   いまさらの如くにみるよたんぽぽ黄

 ずっと上を向き、がむしゃらに生きてきた。でも、ずっと見えていたし、分かっていたよ。タンポポの煌めく黄の色を。

 自分の目線よりずっと下にあるタンポポ、踏まれても摘み取られても抗議の一つも言えないタンポポの憐憫。だけど、すごいよ。除草する奴らなんかに負けてないものね、強くて逞しいその黄色は金に匹敵する!

 いまさら・・・ね。 いまさら気づいたふりしているけど、わたしの中のたんぽぽ、たんぽぽはわたしだよ。


『飯島晴子』(私的解釈)姥の口。

2021-05-20 06:50:48 | 飯島晴子

   姥の口あたりの草の音洩らす

 姥の口はボ・コウと読んで、簿、考。
 あたりの草(辺草)はヘン・ソウと読んで、遍、挿。
 音洩らすはイン・セツと読んで、隠、設。
☆簿(ノート)の考えを遍(もれなく)挿(さしはさみ)隠して設(拵えている)。

 姥の口はボ・コウと読んで、募、稿。
 あたりの草(辺草)はヘン・ソウと読んで、編、創。
 音洩らすはイン・エイと読んで、印、営。
☆募った稿を編(編集して)創(作り)印(印刷して)営(こしらえる)。

 姥の口はモ・コウと読んで、茂、荒。
 あたりの草(辺草)はヘン・ソウと読んで、辺、相。
 音洩らすはイン・エイと読んで、陰、翳。
☆茂った荒れた辺(片田舎)の相(ありさま)は、陰(暗く)翳(ものに覆われている/影)がある。

 姥の口はボ・コウと読んで、母、校。
 あたりの草(辺草)はヘン・ソウと読んで、変、想。
 音洩らすはオン・エイと読んで、遠、永。
☆母校は変(移り変わったが)、想いは遠く永(いつまでも続いている)。


若林奮『Ⅰ-4-5』

2021-05-20 06:27:47 | 美術ノート

   Ⅰ-4-5 〔無題〕Untitled

 名づけられないもの、答えの無いものである・・・起伏(山)があり平地(海のようでもある)がある光景。
 人為的に掘削された領域、垂直な切り通しである。自然への冒涜、生活のための営為。景色は矛盾を孕んでいる。
 人が自然の領域を侵していくことの発展・進歩は垂直の壁に見るような危険度の高い不安を内包している。

 ごく単純な山川の自然、人の叡智、生活は自然を脅かしているが、自然は主張することも争うこともないので景色は人間の思うままである。しかし、この作品は警告している。
 この作品の警告は言葉ではなく、形という静謐で時間と熟慮を要するものであり、ねじ伏せて聞かせるものではない。


 写真は『若林奮ーVALLEYS』展より 横須賀美術館


『城』3655。

2021-05-20 06:12:51 | カフカ覚書

「どこへ行きなさるのかね。どこへいらっしゃるのかね」と、すでにドアが閉まってからも、まだゲルステッカーの叫ぶ声が聞こえていた。その声にため息と咳がまじって、耳ざわりだった。


☆「どこへ行くの、どこへ行くの?」 すでにドアが閉じられてからも、まだゲルステッカーの叫ぶ声がした。その言葉には悲しみと早急さがまじるとともに、不快さがないことに気づいた。