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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)青ぜんまい。

2021-05-07 07:05:48 | 飯島晴子

   青ぜんまい鬼びらびらに戻りくる

※青干しぜんまい、鬼ぜんまいなど、乾燥させたものを水で戻す。水を吸って揺れ動く様子を《びらびら》と形容。

 青ぜんまい(青薇)はショウ・ビと読んで、省、備。
 鬼はキと読んで、記。
 戻りくる(戻来)はレイ・ライと読んで、例、頼。
☆省(注意してみると)備(あらかじめ用意している)記がある。
 例(同じものの仲間)が頼りである。

 青ぜんまい(青薇)はショウ・ビと読んで、娼、媚。
 鬼はキと読んで、嬉。
 戻りくる(戻来)はレイ・ライと読んで、励、磊。
☆娼(ホステス)は媚びる。嬉(遊び楽しむこと)に励み、磊(小さなことにこだわらない)。

 青ぜんまい(青薇)はショウ・ビと読んで、賞、美。
 鬼はキと読んで、基。
 戻りくる(戻来)はレイ・ライと読んで、励、礼。
☆賞美の基は、励むことと礼(人の守るべき正しい行い)にある。

 青ぜんまい(青薇)はショウ・ビと読んで、焦、眉。
 鬼はキと読んで、機。
 戻りくる(戻来)はレイ・ライと読んで、零、磊。
☆焦眉(眉が焦げるほど、危難が迫ること)の機(兆し)は零(きわめて小さい/無)から磊(小さなことにはこだわらない)。


若林奮『1-1-2』

2021-05-07 06:32:10 | 美術ノート

   1-1-2 Untitled

 球体である、しかし、微妙に傾いている。
 何故か。傾いているわけではないのに、傾いていると見えるのか。その理由は不可解である。幾つかの穴や、削り取った跡のせいだろうか、否、多少いびつな球体であるからか。球体の中は不明であり、表面上の情報による確認だけが総てである。

 球体であるが、体感しうる世界を球体に凝縮、抽象化したものかもしれない。とすれば、穴は即ち存在とも考えられる。これらは類似しており、規則性を持っているように見える。しかし、球体に於いて関連性があるとも考えにくい。個々の領域が一つの球体に偶然、自然発生したようでもある。

 世界の原初への想い。硬くて丸く、時間の中に存在する《知》への遥かな観察。決して掴めない時間を手触りがあるような物体に置き換える試行。

 さかのぼる時間の拡散を集結させる無謀な試みでもある。物的証拠を無視した脳内における原初の眺望、作家自身の冷めた熱望の形はひどく危うい形で、しかと、鎮座している不思議がある。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『城』3646。

2021-05-07 06:22:32 | カフカ覚書

 Kは、ふりかえって、そんなに興奮しないでください、と、お内儀に頼んだ。もちろん、あんなことは、なんの意味もありません。わたしは、衣裳のことはまったく門外漢なのですから。


☆全く無意味だった。無意味な言葉は当たり前ですが、心に響きません。彼は理解しようとしたが、氏族のことは、十分理解できなかった。