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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

鈴木しづ子(私的解釈)夏みかん。

2021-05-15 06:30:24 | 鈴木しづ子

   夏みかん酸っぱしいまさら純血など

 春(青春)の長閑で世界を知らない吞気、穏やか、平和・・・。それに比して夏(成熟)の酷暑は夏みかんを希求する。甘い、塩辛い、辛い、苦いなどという感じではなく、夏みかんは、正しく酸っぱい。猛暑への守りと攻撃にしびれる緊張を一瞬にして解き放つものである。

 孤島の日本の安穏、そんな時代はすでに終わっている。他国との応戦は虚しい。己を知らない日本、日本は地球の一隅にすぎない。

 いまさらの純血、守り通すなんぞ笑止!

 純血という言葉が純潔(異性との性的経験のないこと/心にけがれなく清らかなこと)をイメージさせ、酸っぱい感覚が子を孕む想像を呼ぶことで、この句は二重に立ち上がっている。


『飯島晴子』(私的解釈)蜘蛛太る。

2021-05-15 06:11:13 | 飯島晴子

   蜘蛛太る盆地の人の静脈見え

 蜘蛛太るはチ・シュ・タイと読んで、質、趣、他意。
 盆地の人のはボン・チ・ニンと読んで、凡、恥、忍。
 静脈見えはセイ・ミャク・ゲンと読んで、整、三訳、現。
☆質(内容)の趣(狙い)は他意にある。
 恥(はずかしい内容)を忍ばせている。
 整えると、三訳が現れる。

 蜘蛛太るはチ・チュウ・タと読んで、地、虫、多。
 盆地の人のはボン・チ・ジンと読んで、凡、置、尽。
 静脈見えはジョウ・ミャク・ゲンと読んで、浄、脈、幻。
☆地の虫は多い。
 凡(すべて)置(始末し)尽くして浄(きれいにする)脈(みち)は幻(まぼろし)である。

 蜘蛛太るはチ・チュウ・タイと読んで、痴、衷、態。
 盆地の人のはボン・チ・ニンと読んで、凡、恥、認。
 静脈見えはジョウ・ミャク・ケンと読んで、常、脈、兼。
☆痴(愚かな)衷(心の中の)態(ありさま)は凡(すべて)恥であると認める。
 常に脈(筋道)は兼(二つ以上のものを併せ持っている)。