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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮ーVALLEYS

2020-01-15 06:43:55 | 美術ノート

      VALLEYS

 VALLEYS・・・山間の細長い低地である。
 自分の位置(視点)としては、この長い通路の任意の点にあるのだという意識である。

 ずっと向こう(遠方)は見えるが確証は定かではない。両脇には勾配がきつく決して上り得ないような壁(山)が立ちはだかっている。空への空間は途方もなく無限に広がっていることが想像されるが、それが全てではないことは納得せざるを得ない。
 壁(山)は何らかの杭あるいは接合された部分が不連続に顕在化するが、それはあたかも潜在していた宿命という不可思議な力、業のようでもある。つまり人間の予測し得ない未来(過去)の障壁(あるいは栄華/出来事)としての残存、記念、傷跡であり、生命の記録と化したものである。

 VALLEYS・・・それは左右を塞がれた砦であり、突破すること(抵抗)の不可能な自分一人が行くべき通路である。行く手は決して閉じてはいないが、不穏であり未知なる妖しさを秘めている。
 鉄板という強固な素材で造られているが、心理的な現象としての作品である。


 写真は『若林奮ーVALLEYS』図録より 横須賀美術館


『忘れえぬ人々』67.

2020-01-15 06:32:19 | 国木田独歩

「そんなことを言わないで、ずんずん遣りたまえよ。僕は世間の読者の積りで聴ているから、失敬、横になって聴くよ」


☆幻に委(ゆだねられた)目(ねらい)は、逝(人が死ぬこと)に現れる。
 独(自分一人)の視野である。
 析(分けること事柄を明らかにする)で調べ、質(内容)を継いでいく。
 往(人が死ぬこと)を調べるものである。


『城』3336。

2020-01-15 06:26:03 | カフカ覚書

亭主もお内儀も、Kがどうしてあんな向こうみずなことをやってのけたのか理解できないというのである。
「しかし、わたしがなにをしましたかね」


☆主人も女主人も、言葉も言葉の意味も、この種のことを考えても、Kはなお理解できないのである。しかしながら、彼は何かしただろうか。