狂気について瞑想する人物…平常心でない状態についての考察。
人物(男)は狂気ではないと自覚し、狂気を他者の眼で深く推察する態である。
パイプを親指と人差し指の間に平行に挟んでおり、一見しっかり持っているようだけれど、実は火の点いたものを危うい位置に置いている。
落下(危険)を免れない危機を、何事もないように描いている。つまり、無事であることは危険と紙一重である。
しかし、男の関心(眼差し)は中空(空虚/虚無)を向いている。(X線調査によるともう一人の男が描かれていた)おそらくその男は自身であり、自身を凝視しているという構図だと思うが、それを消去したのは自身の中の他者というより、自身のなかの世界(限りなく取り留めのない領域)である必然によるものと思われる。
時間(過去・現在・未来)を特定しない深緑の背景は、ずぅと止まったままの時間(時空)を指している。
首を突き出し、息を止めたような静謐・・・凝視し果てるまで何かを追及することは即ち狂気そのものではないか。
『狂気について瞑想する人物』は、マグリットの自画像である。皮肉と失笑をもって描いた自身の心象だと思う。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
ひばり ひばり
銀の微塵のちらばるそらへ
たつたいまのぼつたひばりなのだ
くろくてすばやくきんいろだ
そらでやるBrownian movement
おまけにあいつの翅ときたら
甲虫のやうに四まいある
飴いろのやつと硬い漆ぬりの方と
たしかに二重にもつている
☆吟(声に出してうたう)魅(もののけ)の人。
私の講(話)は、衷(心の中)の死の意(考え)である。
質(内容)は、法(神仏の教え)を字で充てている。
「従僕たちは、そうは考えていないわ」と、フリーダは言った。
「この点ででも、また、たぶんほかの多くの点ででも、きみは、従僕たちの助平根性からぼくを不誠実で裏切り者だときめつけようとするのかね」フリーダは、なにも答えなかった。
☆たくさんの異なる点を見ても立派だと思う、とKは言った。「きみを欲する従僕(死人)たちの望みでわたしを不誠実にしてしまうのかね」フリーダ(平和)は黙って耐えていた。