現世と冥府、ここは『死の門』ではないか。
死は惨状あるいは空無ではなく、門出であり、迎えられるものかもしれない。
隔絶された世界に再びの出入りは不可能であるが、現世の記憶、人としての経験・データの集積は暗号として刻まれ同一のものは無い。
直立していることや左右対称であることなどが人であったことの必要条件として残存し、新しい世界(冥府)に迎えられる。
そのいでたちは現世における着衣などではないが、各自現世の行為の結果として形象が刻み込まれるのではないか。(ここに善悪は認められない)
難破船(人生の困苦/生老病死)から救い上げられた霊魂の変移、本当の死(虚無だろうか?)へと向かう死の身支度、それが『嵐の装い』だと思う。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
うしろからはもうたれも来ないのか
つつましく肩をすぼめた停車場と
新開地風の飲食店
☆句(言葉)験(調べる)他意を常に申(述べている)
皆(すべて)は字に、普く隠れている自記を展げている。
彼女の眼も、なんとか記憶の糸をたぐり寄せようとしている人間に特有の、とらえどころのない表情をうかべていた。「わたしは、また酒場に雇ってもらいましたの」と、フリーダはゆっくり言った。
☆彼女の眼は、不明瞭な表情で思い出すのが困難なようだった。「わたしは再び酒場(死の入口付近)に受け入れられました」と。フリーダはゆっくり言った。