擬人化されたこの紙状の平面は縦に二度(複数回?)折り畳んで刻みを入れ、左右を展開させている。人の中心を軸にに左右対称にしている。
これは何を意味しているのだろう。正しく倣う…学習、記憶だろうか無意識理に受け入れている常識・観念・約束etc。
しかし彼は人の形を以て切り落としている、あるいは切り落としているのではなく、受容範囲を示しているのだろうか。
見る側(鑑賞者)は、手掛かりをもって想像する。描く側は想像を拒絶し、自分の思いを秘密裏に描き入れる。では描く意味はないかと言えば、その距離・空白・断絶の空間こそが作家の意図である。
この恐ろしいほどの虚無。
「遠隔に君は近づけるか?」マグリットの問いでもある。答えを待つマグリットの高笑い。
『喜劇の精神』、笑っているのは、マグリット自身かもしれない。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
乗らなくたつていゝのだが
これから五里もあるくのだし
くらかけ山の下あたりで
ゆつくり時間もほしいのだ
☆常に語(言葉)の理(筋道)は、太陽の化(教え導く事)を、字で換(入れ替えること)である。
この男は、こちらが言葉をかければかけるほど、ますます気が抜けていくみたいだった。Kは、フリーダのそばに来ると、まるで彼女をふたたび自分のものにするかのように、肩をぐいっとつかんで、どうでもいいような質問をしながら、さぐるように眼をのぞきこんだ。
☆死人はまるで放心したように見えた。Kはフリーダ(平和)のそばに来ると二、三のつまらない質問を詞、彼女の眼を探るように見た。