乳飲み子や幼児の場合は何才何か月なんて言うけど、高齢になると事細かに何カ月などとは言わない。幼児帰りしている現今、日数を数えるのも一興ではないか・・・。
1月3日に引いた風邪(咳)が、今日(12日)になっても止まらない。つくづく身体の衰えに抗しきれない。
『飛葉と振動Ⅱ』
飛葉という言葉は初耳である。飛揚は高く舞い上がる様を言うが、飛葉は何を指しているのだろう。葉(生命の一端)が飛ぶということは、すなわち死を暗示する。
AがBへと変移する。
犬の頭部、身体は板の中に隠れている(沈み込んでいる)。その犬の鼻先に重ねられた層の厚い障壁が立ちはだかっており、それを振動と呼んでいる。確かに空気には音などのエネルギーによる波の発生がある。犬の発するエネルギーが空気を振動させ、それがまた犬の存在であり、方向性を示すものである。
犬はどこへ向かっているのだろう。生きるとは進むことであり、方向性を持つものであるが、絶対的に避けられない一点は死である。生命のエネルギーは死の方向に向かって発散/消失していくものであれば、超えるべき時空の揺れは抵抗となって立ちはだかる道理ではある。
『飛葉と振動』とは生命体の持つ前(未来)に在る未知の時間と空間かもしれない。
(写真は横須賀美術館『若林奮VALLEYS』より)
コバルト山地
コバルト山地の氷霧のなかで
あやしい朝の火が燃えてゐます
毛無森のきり跡あたりの見当です
たしかにせいしんてきの白い火が
水より強くどしどしどしどし燃えてゐます
☆太陽の慈(愛しみ)が表(明白にする)務(つとめ)には、懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)化(教え導く)の念(思い)がある。
亡(死)の貌(すがた)を審(正しいかどうか明らかにし)責(咎めるべき罪)を検(調べる)。
道(人間として取るべき行動)を吐くのは、果(悟り)を遂げるための教(神仏のおしえ)の念である。
「それで、きみのこわgりようが読めたぞ。こわがるにしても、なんともあさましいことだ。きみは、嘘でおれをまるめこもうとしていやがる。
☆「それで、あなたの恐怖が分かったぞ」先祖は完全に哀れな恐怖を持っていた。きみは嘘で先祖を捕らえようと企てたのだな」