寒くなると、どうしても夜中に一度はトイレのために目が覚めてしまう。それが普通に目が覚めればいいのに、たいていは奇妙な夢の途中で起こされてしまう。
毎回さまざまなパターンがあるから、愉しめば?・・・あぁ、それはない。
むかし夢日記を克明につけていた本を読んだことがあるけど、わたしなどは、たいていは曖昧で即忘れてしまうことがほとんどである。
『夜会服』
非夜会服・・・着衣を身につけていない裸の背中である。
水平線と青い空に浮かぶ三日月、水平線には飛沫が見える。
この条件をもって『夜会服』と結論付けている。
①服を身につけていない…夜会服ではない。
②三日月の南中は真昼には見えない。
③真昼に夜会服は不似合いである。
④波がないところに飛沫は上がらない。
矛盾(虚偽)だらけである。『夜会服』の正しい要素が全くない。『夜会服』の逆説…受け入れがたい条件、この不条理の羅列によってむしろ「真理」を想起させる作用が生じることは確かである。
懐疑(背理)による真相への反問。
ここには「肯定」はなく「否定」があるばかりであり、否定をいくら重ねても「肯定に転じることはない」ことの証明だと断定したい。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
一郎が顔をまつかにして、汗をぽとぽとおとしながら、その坂をのぼりますと、にはかにぱつと明るくなつて、眼がちくつとしました。
☆逸(隠れた)糧(物事を養い育て支えるのに必要なもの)の信仰を貫く範(手本)であり、冥(死後の世界)の願いである。
しかし、ここで夜を明かして、バルナバスをおまちになっては、というオルガの申し出は、断った。この申し出は、それ自体としては受けてもよかった。というのは、もう深夜だったし、また、自分の意志にかかわりなく、今ではこの一家とふかく結びつけられてしまったので、ここで泊まることは、ほかの理由でなら都合が悪いだろうが、この結びつきを考えると村じゅうでここが泊まるのにいちばん自然な場所だとおもえからである。
☆しかしながら、オルガはここで小舟を待っていてはと申し出た。この事は多分受け入れられたが、すでに小舟は遅く、また欲するか否かではなく今ではこの一族とつながっており、先祖の(小舟の)宿泊所は他の理由でなら具合が悪いだろうが、この結びつきを考えると完全な来世では自然かもしれないと思ったのである。