残りわずか・・・何気なく使うこの言葉が自分の年齢に準じ、重く感じてしまう。
だけど…、寒中硬くなりがちな身体を嘆きながらも、どこかで声がするのを聞く。(ガンバレよ、しっかり歩いて行け!)と。
あちこち出る不具合を圧し、辛うじて動く。自分の今の状況は自分が為してきた結果であれば、不足不満は論外、この状況の中で慎ましく生きていく。
課題は山積、一つづつ・・・。
今日は『紙芝居の講座』二回目、わたしを支えてくれるものに感謝し、精いっぱい頑張りたい!
『呪い』
青空に浮かぶ雲・・・これが呪い?
呪いとは恨んでいる相手に悪いことが起こるように祈ることであれば、天空(雲)を恨んでいるというのだろうか。少なくとも天空(自然)に精神的な意図は無いと思われる。
観察者(作家)と天空(自然)との間に介在する通信事項は、観察者の側からの憶測に過ぎない。確かに在ると言えば、それは《運命》という超自然の巡り合わせかもしれない。
天空、空を見上げた景色に一致する景はない。常ならぬ景色であり、億年のあいだ千変万化に流動を続けている天空の景色。
《無常》に対する『呪い』は、意図なき巡り合わせに対する苦悩である。
恨めしく天空を見上げる眼差しは理不尽な運命を呪う感情に満ちているかもしれないが、打てど響かぬ淋しい『呪い』であり、それは観察者の胸中に帰る『呪い』に他ならない。
応えは、空に帰するということである。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
下流の方は川はゞ一ぱい銀河が巨きく写ってまるで水のないそのまゝのそらのやうに見えました。
ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のはづれにしかゐないといふやうな気がしてしかたなかったのです。
☆化(教え導くこと)が縷(つらなる)法(神仏の教え)が千(たくさん)吟じられている。
講(はなし)の拠(よりどころ)は、赦(罪や過ちを許すこと)を遂(やりとげること)であり、検(しらべて)吟(吟味する)考えの記である。
ところで、そのころのアマーリアをあなたに見ていただきたかったとおもいますわ。わたしどもはみな、はっきりした罰は受けないだろうということを知っていました。みんなから離れてしまっただけなのです。
☆あの時のアマーリアを見ていただきたかった。わたしたちはみんな小舟は明確な罰だということを知っていました。わたしたちは、ただ相互に離れてしまっただけなのです。