『ハゲタカの公園』
不気味であり、異様な光景である。
山々は暗黒ともいえる黒であり、手前の地面は暗い赤色である。全体生物の見えない景色の世界(公園)は、《死》をイメージさせる。少なくとも快活な明るさや、生きる糧、希望の片鱗すら見えない。
暗黒・・・
空は黄緑で、上方にいくに従って黒ずんでいくが、雲の存在はない。
しかし、奇妙に明るく輝き、中央の棒状(パイプ)の物やフレーム状の枠を微かに照らしている。二つのフレーム状のものの手前は前方からの光を受けている。
パイプと二つのフレーム状のものはごく至近に在る。それは、手前のフレーム状の影がパイプや後方のフレーム状のものに差していることで分かる。
光源はその黄緑の空からと前方からと、二つある。自然光(太陽)が二つあるわけはないので、一方は人工(あるいは精神的な)の光ということになる。
この作品の主題は、中央に置かれた箱だろうか。唐突に生えている樹木は、この箱によって抑えられている。生物の見当たらない領域に生えた一本の木は、木の行く末とも思える板の箱で抑制、抑圧されている。
箱の内部の等間隔にある点々は《時間》を暗示しているのかもしれない。
左方に突き出た隙間のあるパイプは何を意味しているのだろう。
ここにあるものは全て立地点が定かではない。
箱状のものは果たして地面の上に置かれているのだろうか、地面と見える赤い色面は、まるで波打つようなうねりがあり、箱は浮いているようにも見える。
全てが渾沌とし、自然の理を外している。
この光景を称して『ハゲタカの公園』と名付ける根拠は何だろう。
ハゲタカ=死をも啄む《強欲》をイメージした公園・・・。
真っ当な光(太陽)を拒否し奇妙な光を放つ、生命ある緑(生活の糧)を抑圧しバリアで囲い込む。
情報に聞き耳を立てる(突き出たパイプ)恐ろしいまでに荒廃した山々、地における赤色は犠牲になった人の涙(血)かもしれない。
どこまでもどこまでも、果てしない欲望。天を衝き、地をも抉る無限の暗黒。ハゲタカの時空に囚われた一本の木(生命)の悲劇。
ドラマチックな劇場場面は、マグリットの夢想である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
見ると鳥捕りは、もうそこでとって来た鷺を、きちんとそろへて、一つづつ重ね直してゐるのでした。
☆顕(あらわれる)兆(きざし)を保(持ち続け)記す。
路(物事の筋道)を逸(隠した)自由な自記である。
これは、わたしの思い付きではなく、バルナバスの考えついた案なんです。だけど、あの子には、それを実行する勇気がないのです。そういうつもりで訊いたのでなくても、自分の知らない規則をやぶったような格好になって、そのために職をうしなうのじゃないかということが心配で、だれにも話しかけようとしないのです。
☆これはわたしの着想ではなくバルナバス(生死の転換点)が考えた着想なのです。しかしながら、彼は敢えてそれを実行することさえできないのです。怖れではなく、誰かある人の知らない命令による不本意な侮辱によって失うのではないかと思い、それを主張できないのです。