『王様の美術館』
美術館(建物)らしきものが人型にくりぬかれた景色の中、山深いずっと奥の山頂に在る。
簡単には行かれない、秘境のような場所である。空は青く清明であるが、美術館のある山は濁った暗緑色である。
背景は漆黒の闇(宇宙空間)、背にしたブロック(人智)には例の鈴が乗っている。ブロックの影は手前にあるが後方からの光は見えず、鈴に当たる光は手前からという不条理に満ちた空間設定である。
(あくまで異空間、有り得ない空想なのですよ)という前提条件の暗示。
くり抜かれた人型の顔の部分には、眼・鼻・口が見え、正面を向いている。つまりは鑑賞者に対峙しているということである。
王様の美術館(博物館)たる所以はどこにあるのだろう、しかし、ここに王様の所以があるということである。
国民はくり抜かれた人型に象徴されているのだろうか。国民の胸の底にある王様の美術館(博物館)は手の届かない幻想でもある。
《いつ、どこで、誰がどのように王様になったのか》歴史の深い闇、知る手立ては背後の鈴(言葉・伝記・噂)に因るのみである。
語られるべき真実・物証は時空の闇に浮遊しているかもしれないが、王様のルーツは曖昧模糊とした深い闇に包まれている。
人々の中心思考が幻想を交えて王様を祀り上げたのかもしれない。
王様の由来は民衆をおさめる権力にあったと思うが、森の中深く眠る美術館(Museum)に秘められたままである。
広大な宇宙の中の一つの逸話でもある。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
二人もそっちを見ましたら、たったいまの鳥捕りが、黄いろと青じろの、うつくしい燐光を出す、いちめんのかはらはこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手をひろげて、じっとそらを見てゐたのです。
☆普く図りごとが現れる。懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)補(たすける)講(はなし)は照(あまねく光があたる=平等)の倫(人の行うべき道)の講(はなし)を推しはかる章(文章)は、信仰である。
霊の衆(大勢の人)が現れる。
彼も、なかなか姿を見せない人ですが、わたしは、これまでに二、三度見かけたことがあります。若い、丈夫そうな紳士でしょう。だから、たぶんクラムに全然似ていないはずなんです。
☆しかしながら、それにもかかわらず、すでに先祖は何回も見ているのです。先祖の人間は大勢います。そしてまた、クラム(氏族)にまったく似ていないということもありそうです。