特上カルビの記のみ気のまま

韓国語教育を韓国の大学院で専攻した30代日本人男性が、韓国ソウルでの試行錯誤の日々を綴りました.

金(キム)・サムエル先生の手紙

2005-02-21 23:07:54 | 祈り
 晴れ。夜遅く雪降り始める.最低気温-10度.最高気温-2度.

 金(キム)・サムエル牧師先生の一周忌追慕礼拝に参加した.
 日中は墓前礼拝.そして夜は教会での追慕礼拝が行われた.

 私はオンヌリ教会のインターネット放送局で毎日放送されている“QUIET TIME”を見るようになってから,東京で教会に通い始めた(2005/01/12(水)『教会との出逢い』参照).その当時“QUIET TIME”でメッセージを語っておられたのが金(キム)・サムエル先生だった.

 私がソウルに留学をしてからしばらくして,“オンヌリ教会”の日本語礼拝部を訪ね,初めて金・サムエル先生にお目にかかった.2001年の終わり頃だったと思う.私が教会に通い始め,洗礼を受けるまでのいきさつをお話しすると先生はまるで自分のことのように,とても喜んで下さった.それから幾日か経った“QUIET TIME”の中で,「先日この放送を見て教会に通い始め,日本で洗礼を受けたという日本人の青年と会いました!」と嬉しそうに話されるのを見て,恥ずかしくも,いたく感激したのを覚えている.その時の先生の笑顔が今でも忘れられない.

 その先生が昨年の二月二十一日に白血病で突然亡くなられた.六十二歳だった.
 戦後の混乱が続くイラクに赴き,教会を建て,これから本格的にイラク国内で活躍されようとする矢先の出来事だった.

 激しい腰痛を訴えて,2003年の11月にイラクから韓国に一時帰国された際“オンヌリ教会”の「ヤンジェ世界宣教センター」へ宛てた先生の手紙を紹介しようと思う(先生は2002年から「ヤンジェ世界宣教センター」のセンター長を務めていた).

**********以下 翻訳・文責 特上カルビ**********
 
 11月中旬に帰国したその日から,何かと慌(あわただ)しく過ごしながら,多くの病院と,腰痛の治療に効果があるという所を転々とする中,延世大学病院で総合検査を受けました.イラクへ向かう前日の12月3日に最終結果が出たというので行ってみると「血小板の数値が非常に低い」とのこと.すぐに精密検査を受け即入院.今日(12/7)までに白血病であるということがわかりました.アメリカの本部(The Christian & Missionary Alliance宣教部)から即時帰国して治療を受けるように指示され,12月9日(火)にアメリカへと向かいます.治療期間は約2ヶ月で,その後は療養が必要とのことです.

 昨年(2003年)7月に突然イラクへ宣教旅行へと旅立たせ,再びこのような予想だにしない御業(みわざ)を行われる主の御心(みこころ)は何であるかと考えていると,次のようなことが思い浮かびました.それはまるで“特殊部隊”を派遣なさるかのように,我々をイラクへと送られ主の教会と“基地”の基礎を着実に築かれ,今度は私の霊と肉体とを“再整備”なさるという非常に特別な“時間(とき)”をお与えになり,新たな働きのために備えて下さっているのではないかということです.

 私たち夫婦の心に恐れや心配が無いというのは何とも不思議で,インフルエンザにでもかかったかのような感じです.こんなに心が穏やかなのは癒してくださる主の御手(みて)が風邪薬より,はるかに効果があるからでしょう.「老兵は死せずして去る」という言葉があります.当分の間,皆さんとともにいられませんが時が来れば,新たな姿で主の“恵みと力”を伝える道具として,再び皆さんとお会いできるものと信じています.

 皆さんの“愛と祈り”が私の心を強めてくれます.どうか皆さん気弱になることなく,喜び感謝しつつ主を賛美しながら,日々“主の恵みと守り”の中で,主の御働きを担い,果たされることを祈ります.皆さん一人一人を心から愛しています.

2003年12月7日 主の僕(しもべ) 金(キム)・サムエル

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 金(キム)・サムエル先生と一度でもお目にかかった方なら,いつも笑みを絶やさない先生の温かい人柄と,その揺るぎない信仰に惹きつけられたことだろう.手紙の行間にもそんな先生の姿が垣間見られる.いつも世界を飛び回っていた先生のことだ.天の国から,いつかひょっこり帰って来られるかも知れない.
 写真はイラクのバグダッドにある市場で少年と一緒に笑っている金(キム)・サムエル先生.

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