特上カルビの記のみ気のまま

韓国語教育を韓国の大学院で専攻した30代日本人男性が、韓国ソウルでの試行錯誤の日々を綴りました.

韓国語の「ウリ(我々)」と「ホスピタリティー(Hospitality)」

2005-05-17 22:46:10 | Bravo!韓国語
 曇りのち雨。最低気温17度。最高気温24度。

 最近、東京ディズニーランドのサービス内容について書かれた本を韓国語に翻訳する作業を行っていたことはここにも書いた。
 実は昨日と今日(五月十六~十七日)も終日、その翻訳原稿の最終校正と追加の翻訳作業に追われていた。

 その本の内容は「ホスピタリティービジネス(Hospitality business)」について東京ディズニーランドでの場合を例に挙げて述べたものだ。

 お陰で私の頭の中から「ホスピタリティー(Hospitality)」や「サービス(Service)」といった言葉がここ数日離れない。「サービス」を見る目も自然と厳しくなった。

 銀行の預金通帳がいっぱいになったので、ウリ銀行(ウネン)の独立門(トンニンムン)支店に通帳繰越に行ってきた。

 そこの窓口にいた三人の女性のうち、一番若い(と思える)職員の対応がとてもスマートだった。多くのお客さんを短時間で相手にしなければならず、とかく事務的な対応になりがちな銀行の窓口にあって、常に笑顔を絶やさず一つ一つの仕事をこなしていた。私の通帳繰越もその女性が行ってくれたのだが、実に気持ちが良かった。こういう人に出会うと、それだけで良い一日だったと思えてくるから不思議だ。

 繰越の作業を行う間、彼女がずっと笑顔で話しかけて来てくれたので、待たされているという気がしなかったのだ。特に私は日本人だ。外国人というだけで韓国語を解せないと思っている職員も多い中にあって、彼女は実に自然に応対してくれた。帰り際には「両替などの際には、またぜひお越しください。うちの支店には日本語がとっても上手な職員がいるんですよ」と、さりげなく再度の来店を促し、「良い一日を!」と言って明るい笑顔と言葉遣いで、しかも席を立って送り出してくれた。これは簡単そうで、容易に出来るものではない。彼女自身は決して、意識してやっている訳ではないだろう。何故なら、マニュアルに則した一方的な応対ではお客様に感動を与えることは出来ないからだ。

 ところでウリ銀行の「ウリ」とは日本語に訳せば「私たち、我々」とか「私たちの、我々の」という意味だ。韓国語の中で最も使用頻度が高い語彙である。

 因みに韓韓辞典を見ると次のように載っている。

ウリ【우리】代名詞...
① (話者が) 自分と自分の仲間をともに称する言葉。¶私たちは朝早く駅で会い、列車に乗った。
② (話者が) 自分と関係のある家族を称するときに使われる言葉。¶愛情深さでは私の祖母に勝る人はいない。
③ (話者が) 自分や 自分と関係のある人を親しく称する言葉。¶わが社の社員は比較的給料が良い。
④ (話者が)他人、または 相手に対して自分や自分の陣営であることを指す言葉。¶今回の選挙はわが党が、必勝せねばならない。

 しかし、この「ウリ」という言葉の世界は深い。単に日本語で「我々、私たち」と訳すと不自然な場合も多いのだ。

 例えば地下鉄でのアナウンス。車内では「ウリ列車は仁川(インチョン)行きです」。駅構内では「ウリ駅はホームと電車との間が離れております・・・」。
 「ウリ列車(私たちの列車)」って言われても、「私は単に客として乗ってるだけだし、列車は私の所有物でもないし、それに私は一体いつからあなた達の集団に仲間入りしちゃったの・・・?」と思ってしまう。
 「ウリ駅」に至っては「ウリ駅って一体誰の駅なの?」と、頭を抱えてしまう。
 
 韓国にある駅は全て「ウリ駅」。韓国を走る列車は全て「ウリ列車」、バスは「ウリバス」、タクシーは「(たとえ個人タクシーであっても)ウリタクシー」になってしまう。飛行機の場合は「ウリ(我々・私たち)」よりも丁寧な「チョイ(私ども)」という代名詞を使って「チョイ飛行機」と言う場合が一般的だ。

 乗り物に限らず、一番使用頻度が高い韓国語として「ウリナラ(我々の国=韓国)」を挙げることが出来る。因みに韓国語のことを「ウリマル(“マル”は“ことば”の意)」と言う。

 自分が通っている学校は「ウリ学校(ハッキョ)」。会社なら「ウリ会社(フェーサ)」。自分の家も「私の家」ではなく、「ウリチプ(“チプ”は“家”とか“お店”の意)」と言うのが普通だ。

 この「ウリ」という言葉には“仲間を重視する”韓国社会の特質が見て取れる。しかし同時に“排他的な要素”が潜んでいるとも言えるのではないだろうか?。そして、「ウリ」と言うことにより、どこか個人の責任の所在を曖昧にするようなところがある気がしてならない。

 例えば「私たちのホテル」よりも「私のホテル」と言ったほうがより、スタッフ一人ひとりの責任の所在がより明確になるし、職場に対する愛着も一層深まるのではないだろうか。

 「ウリ列車は仁川(インチョン)行きです」や「ウリ駅はホームと電車との間が離れております・・・」というアナウンスを聞いてわかるように、職員とお客さんが全く同じレベルで扱われてしまっている。本来そこで働く職員は、お客様に対してサービス(奉仕)するのが仕事である。お客様を“立てなければならない”立場の職員と「同じレベル」で扱うということは、お客様の立場を知らぬ間に「低めている」と言えないだろうか?

 韓国のサービス業に「ホスピタリティー」を感じられない原因の一つは、韓国語の「ウリ(我々・私たち)」という言葉に隠されているのかも知れない。

 写真はソウルの地下鉄一号線を走る「ウリ列車」(左が仁川(インチョン)行き。右は議政府北部(ウィジョンブプップ)行き)。  

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