晴れ時々曇り。最低気温6.5度。最高気温15.8度。
最近、以前よりも韓国人に間違えられることが多くなった。私の韓国語があまりに流暢だからだ・・・と書きたいところだが残念ながらそうではない。短いセンテンスを喋るだけならバレないが、ちょっと長い文章になると途端に、「日本人でしょう?」とか「在日同胞(チェイルドンポ)でしょ?」とズバリ言い当てられてしまう(因みに私は純粋な日本人である)。相手が話していることは理解できるのにも関わらず、自分が話したいことが自然と口から出てこないというのは実にもどかしい。精神的にも決して良くない。何よりストレスが溜まる。
日本より一足早く、三月から新年度(新学期)を迎えた韓国ではこのところ週末になると「新迎コンパ」があちこちで開かれる。お陰で私が住んでいる新村(シンチョン)の学生街は昨夜も学生達で夜遅くまで賑わっていた。
大学からコンパ会場に向かう場合、一番先頭に部やサークルの大きな旗を掲げた先輩が立ち、参加者全員がそれにゾロゾロついて行くというのが一般的だ。遠目から見たら一瞬「デモ隊」かと思い身構えてしまう。
特に最近「独島(トクト=韓国での竹島の呼称)領有権問題」や「歴史教科書歪曲問題」に加え「日本の国連常任理事国参加可否」を巡って日韓関係がギクシャクし始めている。
駐韓日本大使館でもホームページで竹島問題に関する安全情報を出して、日本大使館周辺やデモには近づかないよう呼びかけているだけに、嫌でも敏感になってしまう。「新歓コンパ」の参加者は幸いにも、はち巻きをしてこぶしを高く突き上げたり、日章旗を燃やしたり、火炎瓶を持ってないので安心だが、“集団心理”は時に普通の人を“暴徒化”させてしまうの恐れがある。そんな時は日本語を一言も発せずに彼(彼女)らをかわすのが一番だ。その点、黙っている限り韓国の人たちと区別がつかないというのは都合が良い。
それにしても、毎日朝から晩まで日韓の諸問題について韓国のマスコミがこぞって「これでもかーっ!」「まだ足りないかーっ!」と言った具合に「反日報道戦」を一方的に展開すれば、するほど韓国の人たちは理性を失ってしまい、愛国心の炎がメラメラと燃え上がる。実はこの炎、火炎瓶より厄介だ。見事なマインドコントロールに陥ってしまうのだ。
そんな精神状態になっても決しておかしくはない。何故なら毎日韓国のマスコミと接していると、日本人の私でさえ「反日感情」を抱きたくなるほどなのだから。大学のキャンパスに流れる校内放送までも「反日ネタ」だ。最近は本当に耳にタコ。食傷気味である。
朝鮮半島の南東部慶尚南道(キョンサンナムド)の馬山(マサン)市市議会が三月十八日に「対馬(テマド=韓国での対馬の呼称)の日」を条例を可決したという。来る四月六日には発効する予定だ。
いくら島根県議会が竹島の日を制定したからといって、それに対抗して「対馬(テマド=韓国での対馬の呼称)の日」を制定するというのはあまりに短絡的過ぎではないだろうか?これではまるで“子どものけんか”と同じである。こんなことをしたら、韓国政府は「竹島の日」を制定した日本(島根県議会)に対して堂々と抗議が出来なくなってしまうではないか。さすがに韓国政府は馬山(マサン)市に制定撤回を求めるようだ。一体どうなることやら・・・。
江戸時代中期に対馬藩で朝鮮外交に活躍した儒者である雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)(1668~1755)をご存知だろうか(写真)。彼は朝鮮語のみならず、中国語も解し、隣国に対する造詣(ぞうけい)も非常に深かった。彼が六十一歳著した『交隣提醒(こうりんていせい)』(1729年)には「誠信の交わり」として次のような言葉が書かれている。
「互いに欺(あざむ)かず、争(あらそ)わず、真実を以って交わり候を誠信とは申し候」(お互いに欺かず、争わず、真実を以って交わることを誠信(まこと・誠実・真実)という)
「とにかく朝鮮の事をくはしく知り申さず候ては、事に臨み何の了簡(りょうけん)つかまつる様これなく、 浮言新説はいかほどこれあり候ても益これなく候」(どんなに善意を持って外交にあたっても、朝鮮に関する詳しい知識がなければ、その理想主義は実効のないうわついた言葉「浮言新説」に終わってしまう)
先達(せんだつ)が残した、この言葉は280年近く経った今も全く色褪(あ)せていない。逆にその“輝き”を日々増しているように思えてならない。雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)が今日(こんにち)の韓関係を見たらどのように思うだろうか?個人的にとても気になる。
今こそ日本には雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)のような人物が必要なのである。
最近、以前よりも韓国人に間違えられることが多くなった。私の韓国語があまりに流暢だからだ・・・と書きたいところだが残念ながらそうではない。短いセンテンスを喋るだけならバレないが、ちょっと長い文章になると途端に、「日本人でしょう?」とか「在日同胞(チェイルドンポ)でしょ?」とズバリ言い当てられてしまう(因みに私は純粋な日本人である)。相手が話していることは理解できるのにも関わらず、自分が話したいことが自然と口から出てこないというのは実にもどかしい。精神的にも決して良くない。何よりストレスが溜まる。
日本より一足早く、三月から新年度(新学期)を迎えた韓国ではこのところ週末になると「新迎コンパ」があちこちで開かれる。お陰で私が住んでいる新村(シンチョン)の学生街は昨夜も学生達で夜遅くまで賑わっていた。
大学からコンパ会場に向かう場合、一番先頭に部やサークルの大きな旗を掲げた先輩が立ち、参加者全員がそれにゾロゾロついて行くというのが一般的だ。遠目から見たら一瞬「デモ隊」かと思い身構えてしまう。
特に最近「独島(トクト=韓国での竹島の呼称)領有権問題」や「歴史教科書歪曲問題」に加え「日本の国連常任理事国参加可否」を巡って日韓関係がギクシャクし始めている。
駐韓日本大使館でもホームページで竹島問題に関する安全情報を出して、日本大使館周辺やデモには近づかないよう呼びかけているだけに、嫌でも敏感になってしまう。「新歓コンパ」の参加者は幸いにも、はち巻きをしてこぶしを高く突き上げたり、日章旗を燃やしたり、火炎瓶を持ってないので安心だが、“集団心理”は時に普通の人を“暴徒化”させてしまうの恐れがある。そんな時は日本語を一言も発せずに彼(彼女)らをかわすのが一番だ。その点、黙っている限り韓国の人たちと区別がつかないというのは都合が良い。
それにしても、毎日朝から晩まで日韓の諸問題について韓国のマスコミがこぞって「これでもかーっ!」「まだ足りないかーっ!」と言った具合に「反日報道戦」を一方的に展開すれば、するほど韓国の人たちは理性を失ってしまい、愛国心の炎がメラメラと燃え上がる。実はこの炎、火炎瓶より厄介だ。見事なマインドコントロールに陥ってしまうのだ。
そんな精神状態になっても決しておかしくはない。何故なら毎日韓国のマスコミと接していると、日本人の私でさえ「反日感情」を抱きたくなるほどなのだから。大学のキャンパスに流れる校内放送までも「反日ネタ」だ。最近は本当に耳にタコ。食傷気味である。
朝鮮半島の南東部慶尚南道(キョンサンナムド)の馬山(マサン)市市議会が三月十八日に「対馬(テマド=韓国での対馬の呼称)の日」を条例を可決したという。来る四月六日には発効する予定だ。
いくら島根県議会が竹島の日を制定したからといって、それに対抗して「対馬(テマド=韓国での対馬の呼称)の日」を制定するというのはあまりに短絡的過ぎではないだろうか?これではまるで“子どものけんか”と同じである。こんなことをしたら、韓国政府は「竹島の日」を制定した日本(島根県議会)に対して堂々と抗議が出来なくなってしまうではないか。さすがに韓国政府は馬山(マサン)市に制定撤回を求めるようだ。一体どうなることやら・・・。
江戸時代中期に対馬藩で朝鮮外交に活躍した儒者である雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)(1668~1755)をご存知だろうか(写真)。彼は朝鮮語のみならず、中国語も解し、隣国に対する造詣(ぞうけい)も非常に深かった。彼が六十一歳著した『交隣提醒(こうりんていせい)』(1729年)には「誠信の交わり」として次のような言葉が書かれている。
「互いに欺(あざむ)かず、争(あらそ)わず、真実を以って交わり候を誠信とは申し候」(お互いに欺かず、争わず、真実を以って交わることを誠信(まこと・誠実・真実)という)
「とにかく朝鮮の事をくはしく知り申さず候ては、事に臨み何の了簡(りょうけん)つかまつる様これなく、 浮言新説はいかほどこれあり候ても益これなく候」(どんなに善意を持って外交にあたっても、朝鮮に関する詳しい知識がなければ、その理想主義は実効のないうわついた言葉「浮言新説」に終わってしまう)
先達(せんだつ)が残した、この言葉は280年近く経った今も全く色褪(あ)せていない。逆にその“輝き”を日々増しているように思えてならない。雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)が今日(こんにち)の韓関係を見たらどのように思うだろうか?個人的にとても気になる。
今こそ日本には雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)のような人物が必要なのである。