「私の5年後」 今、私は65歳になる。いつまで働けるでしょう。今は健康だけど、体の中までは分からない。
パソコンも覚えて、少しずつ自分のやりたい事に向かっている。
私は親を尊敬していた。人間は、死んでからその偉大さが分かると言われるけど、親はズバリその人です。
私が学校から帰って、いつも家には、みすぼらしいお婆さんとか、一人住まいの人とか誰かはいた。
大きい声で笑う母を、死んで25年たった今も「いい人だった!」「助けられた!」「会うの楽しみだった!」「皆んなに平等だった!」・・・と言われる。
お金なんかなかった。それでも、ドーナツを作ったり、カレーや、具のないソースチャーハンを作っては、
自分の家が貧乏なのに、皆んな困っている人にも、食べさせていた。今の時代のボランテァですね。
困った時は助け合う!と言う心なんです。自分だって寝たきりの小児麻痺の子を育てながら。
私も母みたいな人になりたい!
今、大きい家にニ人、時々孫も見てるけど、お店の仕事が半分になったら、「皆んなで笑いの家」をつくりたい。ボランテァで。
悩みを吹き飛ばそう!病気なんか恐くないよ皆んないるから!寂しくないよ皆んなで助けるから!
若い人も、年老いた人も、生活が困っている人も、皆んな平等。 一人より多いほうがいいもの。 笑う所に幸せがくるもの。
仕事がなくなっても、楽しみがある!
パソコンも覚えて、少しずつ自分のやりたい事に向かっている。
私は親を尊敬していた。人間は、死んでからその偉大さが分かると言われるけど、親はズバリその人です。
私が学校から帰って、いつも家には、みすぼらしいお婆さんとか、一人住まいの人とか誰かはいた。
大きい声で笑う母を、死んで25年たった今も「いい人だった!」「助けられた!」「会うの楽しみだった!」「皆んなに平等だった!」・・・と言われる。
お金なんかなかった。それでも、ドーナツを作ったり、カレーや、具のないソースチャーハンを作っては、
自分の家が貧乏なのに、皆んな困っている人にも、食べさせていた。今の時代のボランテァですね。
困った時は助け合う!と言う心なんです。自分だって寝たきりの小児麻痺の子を育てながら。
私も母みたいな人になりたい!
今、大きい家にニ人、時々孫も見てるけど、お店の仕事が半分になったら、「皆んなで笑いの家」をつくりたい。ボランテァで。
悩みを吹き飛ばそう!病気なんか恐くないよ皆んないるから!寂しくないよ皆んなで助けるから!
若い人も、年老いた人も、生活が困っている人も、皆んな平等。 一人より多いほうがいいもの。 笑う所に幸せがくるもの。
仕事がなくなっても、楽しみがある!